恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

異例の大祭

2020年07月20日 | 日記
以下は、19日法要後の挨拶です。

 皆様、本日のご参拝、誠にお疲れ様でございました。このような時節にもかかわらずお越しいただき、心より有り難く存じております。

 すでにご案内の通り、今年は世界的に未曽有のウイルス禍に見舞われ、当恐山も5月には宿坊を閉鎖したまま開山の止む無きに至り、そしてまた明日からの夏季例大祭も、大きく規模を縮小して行うことと相成りました。とりわけ季節の風物詩の感あった山主上山式を中止せざるを得ない仕儀となりましたことは、記憶・資料にて遡れる限り、前例を見ない事態であり、残念の極みでございます。

 さらにまた、昨今のうち続く天変地異による災害の頻発は、我々の想像を超えるものであり、近くは九州を中心とする豪雨災害の犠牲者の方々には、心よりご冥福をお祈りし、被災者の皆様にはお見舞いを申し上げ、復興の早からんことを祈念させていただきます。

 いま「想像を超える」と申しましたが、このような「思ってもみない」出来事は、同時に「思うようにならない」「ままならない」出来事、すなわち私たち人間にはどうしようもない事柄です。

 振り返ってみれば、普段は意識しないでしょうが、そのような災難は、歴史上、過去にいたるところで何度も起きたことでしょう。疫病然り、災害しかりです。少し日本史を繙いても、それは明らかです。

 おそらく昔の人々は、そのような災難のたびに、己の無力を悟り、神仏の救済と加護を願ってきたに違いありません。技術も医療も十分ではなかった時代には、それ以外にできることはなかったのです。

 恐山のご本尊は「延命地蔵菩薩」と申し上げます。この「延命」の二文字に、この地まで参って来られた人々の切なる願いを感じざるを得ません。生き難い、思い通りになることがごく僅かしかない時代に、無事に命を長らえることは、彼らにとって、まさに神仏への祈りによってのみ可能だと思われたことでしょう。

 21世紀の我々は、昔とは比較できないような科学技術や医療を持っています。無論、国力の違いは未だに大きく、その恩恵に偏りのあることは否めません。しかし、大きく見て人類の「思い通りにできる」ことが飛躍的に拡大したとは言えるでしょう。

 それでもなお、今回のウイルス禍と、おそらく地球規模の気候変動は、少なくとも現時点では、人類の「思ったようにできる」能力を凌駕する、「ままならない」事態です。私たちは、大きな厄災に直面した今、再度この「ままならなさ」に思いを致し、深く自らを省みるべきではないでしょうか。

 もし、この非常な困難にも意味があるとするなら、その「ままならなさ」から、人間としての謙虚さを取り戻すことでしょう。我々は何でもできるわけではなく、何をしてもよいわけでもないのです。

 気候変動は人間の活動がもたらし、ウイルスを森林から呼び出したのも土地開発の果てだとするなら、何が今後に問われるかは、自ずとわかることです。

 いまや、人知の小ささ、我々の生の無常を改めて自覚して、人間としての在り方を根底から見直す時代が来たことを、私は思わざるを得ません。それはまさに宗教の存在意義が厳しく問われる時代の到来でもありましょう。

 駄弁を長々と失礼しました。思いのあるところをお察しいただき、御ゆるしを願います。本日はお参りありがとうございました。

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