時々、人前で話をしたり、本を書いたりしていると、こんなことを言われることがあります。
「あのねぇ、仏教とか禅とか、なんか浮き世離れしたことばっかり言ってるでしょ。もう少し世間で普通に暮らす人間に役に立つような教えってえのは無いのかね」
私が思うに、残念ながら、仏教から直接「処世訓」や「道徳訓」めいた話を引き出そうとしても、それは見当はずれでしょう。もちろん、「処世訓」や「道徳訓」に重なる部分も数多くあります。しかし、それは結果的にそうなのであって、仏教のテーマではありません。
だいたい、「浮き世」はもともと「憂き世」なのであり、「憂き世離れ」することこそ、仏教の本領です。ここがよくわからないと、たとえば、仏教における「無我」の教説を、単純に「わがままを言わない」という「滅私奉公」の意味に読み替えて、戦死や過労死をあおるような話を「説教」する人間が出てきたりするのです。
仏教の教えを直接「世間」に適応することには慎重であるべきです。そうではなくて、「世間」の有り様を問い直し、見直す視点を提供することにこそ、仏教の意味はあるはずです。すなわち、「役に立たない」ことにおいて「役に立つ」わけです。
「また、わけのわからないへ理屈を・・・」と言う人もいるでしょうが、ここはご辛抱いただくほかありません。さらにあえて言うなら、私は概して「わかりやすく」「やさしく」説かれた仏教を信用しません。それはあくまでも、その程度の「説明」「解説」として付き合うべきであり、仏教自体がわかりやすくなったり、やさしくなったりするわけではないのです。
「悪い行いをやめよう。善い行いをしよう。そうして心を浄める。これが仏さまの教えです」
これは、古来、あらゆる仏に共通する根本の教えとされているもの(「七仏通戒偈」)です。読めば意味は子供でもわかります。ですが、果たしてこれは「わかりやすい」「やさしい」教えなのでしょうか?
宣伝をひとつ。先日NHKラジオにインタビューされました。4月22日の朝8時半に、たしか第2放送の「宗教の時間」という番組に出ます。よろしければ、お聞き下さい。
お知らせひとつ。5月の「仏教・私流」は21日の午後6時半からです。
ありがとうございましたm(__)m
> 5月の「仏教・私流」は21日の午後6時半からです。
先日は4月と仰っていた様な気がしたのですが5月でしょうか?
5月であれば都合がつきそうな気がします。
取り急ぎ、ご確認まで。
とても勉強になります、私もblogをやっているのですが、拙頁にブックマークとしてリンクさせていただきましたので合わせてご連絡させていただきます。これからも楽しみに読ませていただきます。
「救済」は、結果でしょう。
ところで、片岸先輩はお元気でしょうか?私は、随分前に、大乗寺さんで、外国人僧侶の研修会の際、ご一緒させていただいた者です。
南さんのご活躍は、友人からも聞いておりました。益々ご活躍を!!
よければ、時々ページを拝見させてください。