某所での待ち合わせに向かうため、バスに乗り込んだ住職。車内は7、8人。天候暑からず寒からず、快晴。
立っていることが多い住職、その日も立っていると、右斜め前に座っていたおさげ髪の女の子(小学校1、2年生くらい)が、いきなり振り向くと住職を見て、
「○○町3丁目というのは次でしょうか?」
「えっ。ああ、そうだよ、確か」
「ありがとうございました」
(礼儀正しい、いい子だな)
バス、3丁目到着。女の子、再び、
「ありがとうございました」
「はい、さようなら」
停留所に降り立った女の子、突然
「あれ、おじいちゃんがいない」
女の子、住職を見上げて困惑の目。
「えっ、おじいちゃん?」
「いないの・・・」
「お迎えに来るの?」
「そう・・・」
女の子の声、ぐっと心細そうになる。乗客の視線、住職に集まっている気配(自意識過剰か)。
「どうしよう・・・おかあさんが、おじいちゃん、来るって・・・」
運転手から、何とかしろよと言われそうな感じ(完全に自意識過剰)。
「じゃ、オジサンと待とう」
(ああ、坊さんの見栄だよなあ。それなら、「和尚さんと待とう」と言うべきであったな)
停留所に女の子と住職。
「すみません・・・」
「いいの、いいの。ただ、ぼくにも約束があるからなあ・・・」
(じいさん、早く来いよ! 何してんだよ!)
名前を訊いたり学校のことを訊いたりしつつも、心配なまま15分以上経過、バス2台通過。
「あの、きみ、携帯電話持ってる?」
「うん。でも、おかあさん、いま仕事に行ってるから、通じないの」
ちょっと涙ぐみ状態。
(あーん、泣かれたら困るよう!)
「あっ!」
「あの人、おじいちゃん?」
「うん!」
くまのプーさん的体形のおっさん、300メートルほど彼方から、実にゆっくり接近中。
「よかったなあ」
(おい、じいさん! 全力疾走で来いよ!!)
おじいちゃん追い抜いて、次のバス接近。
「じゃ、ぼく行くね。バイバイ」
「バイバイ!」
本当はおじいちゃんにひとコト言いたかった住職、そのまま出発。バスの車窓には、ようやくやって来たおじいちゃんと手をつないだ女の子。
住職がいつもの格好で出歩くと時々ある、この手の出来事。
立っていることが多い住職、その日も立っていると、右斜め前に座っていたおさげ髪の女の子(小学校1、2年生くらい)が、いきなり振り向くと住職を見て、
「○○町3丁目というのは次でしょうか?」
「えっ。ああ、そうだよ、確か」
「ありがとうございました」
(礼儀正しい、いい子だな)
バス、3丁目到着。女の子、再び、
「ありがとうございました」
「はい、さようなら」
停留所に降り立った女の子、突然
「あれ、おじいちゃんがいない」
女の子、住職を見上げて困惑の目。
「えっ、おじいちゃん?」
「いないの・・・」
「お迎えに来るの?」
「そう・・・」
女の子の声、ぐっと心細そうになる。乗客の視線、住職に集まっている気配(自意識過剰か)。
「どうしよう・・・おかあさんが、おじいちゃん、来るって・・・」
運転手から、何とかしろよと言われそうな感じ(完全に自意識過剰)。
「じゃ、オジサンと待とう」
(ああ、坊さんの見栄だよなあ。それなら、「和尚さんと待とう」と言うべきであったな)
停留所に女の子と住職。
「すみません・・・」
「いいの、いいの。ただ、ぼくにも約束があるからなあ・・・」
(じいさん、早く来いよ! 何してんだよ!)
名前を訊いたり学校のことを訊いたりしつつも、心配なまま15分以上経過、バス2台通過。
「あの、きみ、携帯電話持ってる?」
「うん。でも、おかあさん、いま仕事に行ってるから、通じないの」
ちょっと涙ぐみ状態。
(あーん、泣かれたら困るよう!)
「あっ!」
「あの人、おじいちゃん?」
「うん!」
くまのプーさん的体形のおっさん、300メートルほど彼方から、実にゆっくり接近中。
「よかったなあ」
(おい、じいさん! 全力疾走で来いよ!!)
おじいちゃん追い抜いて、次のバス接近。
「じゃ、ぼく行くね。バイバイ」
「バイバイ!」
本当はおじいちゃんにひとコト言いたかった住職、そのまま出発。バスの車窓には、ようやくやって来たおじいちゃんと手をつないだ女の子。
住職がいつもの格好で出歩くと時々ある、この手の出来事。
もしかしたら恰好が違っても、こういう出来事に巻き込まれることがあるかもしれません(笑)
困っている人、何かを必要としている人は、それに応じてくれそうな人を「直感的」に選んでいるのではないかと思われてなりません。
「道先案内人」、「旅先写真家」という肩書(あだ名)を持っている人を知っています。
それぞれ、道をよく聞かれること、観光地で写真撮影をよくお願いされることに由来しております。
海外でも明らかに「外人」扱いされているにも関わらず、現地人にフランス語混じりで現地の道先案内を請われたときは、「道先案内人」の肩書は、属性を離れて、世界に通用するものだと思われました(笑)
それなりの因縁があったのでしょうね。
さて何に、"びっくりした"のでしょうか?(笑)
目の前に目的地があっても聞く
知っていても安心するために聞くらしい
その人に吸い寄せられる何かがある
ぷーさんの想像力の欠如
共感とはなんなのか
バスの時間と合理性
顔が怖すぎるらしいので‥‥。
「オジサン」「ぼく」と使い分けられて、女の子に、「お嬢ちゃん」ではなく、「きみ」と使われいる。
意図するところや如何に?
自意識過剰というよりは周囲の人間からの無言の圧力なのでは。
お孫さんの心細さを汲み取れず、遅れて
のこのこやって来るおじいちゃん。
子供に対する配慮を欠いた大人のダメっぷり。笑える人の気が知れない。
皆も思ってるだろうけど、お顔を拝見したときに
あきらかにヤバいという感想がでてきた
自分は直感的に視覚で相手を判断する能力があると思うが
著書を色々読んでたら、納得した
でも、子供に好かれているし
子供好きな方だとおもうから安心したけど
人間って両サイドあることもあるし
老婆心だけど、まだ顔に残っている気がしますよ