こういう有名な禅問答があります。ある老師が弟子たちに問いかけました。
「15日までのことはもういい。15日から後はどうだ? 一言、言ってみなさい」
弟子たちが返答できず押し黙っていると、老師は自ら彼らに代わって言いました。
「毎日よい日だな(日日是好日)」
この禅問答の解釈も様々で、日々の良しあしなどという妄想を捨て、今この時限りを懸命に生きる、ありのままの姿こそ、釈尊の悟りなのだ、というような解説がよくなされます。
ですが、私はこう考えます。
「15日」とは「悟り」の言い換えです。ですから、最初の老師の問いは、「悟る前はもうよい。悟ったらどうなるのか言ってみろ」ということなのです。
この問いに自ら答えた老師の言い分は、毎日が好い日なら、「好い」「悪い」を区別する意味がなくなる、ということです。
これを「悟り」で言うとこうなるでしょう。
もし悟ったらどうなるか言えるなら、それは悟りの状態と悟りでない状態の区別がつき、悟りを言語化できるということと同然です。 すると「悟り」はただの概念ということになり、結局ものは言い様、悟りも言い様ということにしかなりません。
そんな悟りに意味はない。そもそも悟りの前と後に違いなどない。そうではなくて、悟ろうと悟るまいと仏道修行を続けること、またそれを毎日続けられることの僥倖を深く感じられること、そういう営み自体が悟りなのだと、老師は言いたいのです。
翻って思えば、新元号発表で発火したマスコミや商売人あげての改元騒動も、いよいよ大詰めです。それにしても、要はただ1日が過ぎるだけのことに、多少の感慨はともかく、実際どれだけの人が深刻な意味を感じているというのでしょう。
ただし、私はこの度退位される明仁天皇については、いささか心中察するものがあります。それは去年から今年にかけての二つの公式発言を聞いたからです。
まず、昨年末の誕生日前の会見。
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」
続いて在位30年記念式典での言葉。
「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」
私はこれらの言葉を聞いたとき、我々、特に戦後生まれの人間にとって、ほとんど自明のことであった戦争のない日常と象徴天皇の制度が、彼にはまったく自明なことではなく、まさに切なる祈りと苦難に満ちた模索によって、日々確かめられ、創造されなければならないものだったのだと、初めて思い至りました。
ならば、それは、おそらく改元で終わりはしないでしょう。平成に戦争がなかったとしても、令和はどうなるかと、上皇としてまた、案じ続けるでしょう。そして、象徴天皇のあるべき姿を後継者に託しながら、自身もまた、象徴天皇制下で初の上皇の在り方を、模索することになる筈です。
宿命の下に生まれたある人間の、これまでの想像しがたい努力と忍耐に深く敬意を表しつつ、彼の「日日是好日」は、やはり「果てしなく遠い道」の上にしかありえないのだろうと、私は思うのです。
と、同時に、今回の譲位・退位が改めて目に見えるものとした、現憲法の「国民主権」や「基本的人権の尊重」という理念と、象徴天皇制との間に厳然と存在する懸隔をこの先どのように考え、あるいは埋めていくかという問題に、我々もまた直面せざるを得ないでしょう。
「15日までのことはもういい。15日から後はどうだ? 一言、言ってみなさい」
弟子たちが返答できず押し黙っていると、老師は自ら彼らに代わって言いました。
「毎日よい日だな(日日是好日)」
この禅問答の解釈も様々で、日々の良しあしなどという妄想を捨て、今この時限りを懸命に生きる、ありのままの姿こそ、釈尊の悟りなのだ、というような解説がよくなされます。
ですが、私はこう考えます。
「15日」とは「悟り」の言い換えです。ですから、最初の老師の問いは、「悟る前はもうよい。悟ったらどうなるのか言ってみろ」ということなのです。
この問いに自ら答えた老師の言い分は、毎日が好い日なら、「好い」「悪い」を区別する意味がなくなる、ということです。
これを「悟り」で言うとこうなるでしょう。
もし悟ったらどうなるか言えるなら、それは悟りの状態と悟りでない状態の区別がつき、悟りを言語化できるということと同然です。 すると「悟り」はただの概念ということになり、結局ものは言い様、悟りも言い様ということにしかなりません。
そんな悟りに意味はない。そもそも悟りの前と後に違いなどない。そうではなくて、悟ろうと悟るまいと仏道修行を続けること、またそれを毎日続けられることの僥倖を深く感じられること、そういう営み自体が悟りなのだと、老師は言いたいのです。
翻って思えば、新元号発表で発火したマスコミや商売人あげての改元騒動も、いよいよ大詰めです。それにしても、要はただ1日が過ぎるだけのことに、多少の感慨はともかく、実際どれだけの人が深刻な意味を感じているというのでしょう。
ただし、私はこの度退位される明仁天皇については、いささか心中察するものがあります。それは去年から今年にかけての二つの公式発言を聞いたからです。
まず、昨年末の誕生日前の会見。
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」
続いて在位30年記念式典での言葉。
「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」
私はこれらの言葉を聞いたとき、我々、特に戦後生まれの人間にとって、ほとんど自明のことであった戦争のない日常と象徴天皇の制度が、彼にはまったく自明なことではなく、まさに切なる祈りと苦難に満ちた模索によって、日々確かめられ、創造されなければならないものだったのだと、初めて思い至りました。
ならば、それは、おそらく改元で終わりはしないでしょう。平成に戦争がなかったとしても、令和はどうなるかと、上皇としてまた、案じ続けるでしょう。そして、象徴天皇のあるべき姿を後継者に託しながら、自身もまた、象徴天皇制下で初の上皇の在り方を、模索することになる筈です。
宿命の下に生まれたある人間の、これまでの想像しがたい努力と忍耐に深く敬意を表しつつ、彼の「日日是好日」は、やはり「果てしなく遠い道」の上にしかありえないのだろうと、私は思うのです。
と、同時に、今回の譲位・退位が改めて目に見えるものとした、現憲法の「国民主権」や「基本的人権の尊重」という理念と、象徴天皇制との間に厳然と存在する懸隔をこの先どのように考え、あるいは埋めていくかという問題に、我々もまた直面せざるを得ないでしょう。
あと24時間弱、
改元のばか騒ぎに辟易としているばかりでなく、象徴天皇や天皇個人に想いを馳せる事にします。
言葉でしかない
王権、天皇、密教、呪術、やはり言葉
政治家、金、嘘、民主主義、やはり言葉
動物園の動物を見るように
近づかないでながめている
TVは無く
新聞も購読せずにいるが
嫌でも世情は耳にする
已む無く税金は支払い
運転免許証やパスポートは持っている
ひとり過客として
出来るだけ静に暮らしていきたい
皆自分が言いたい様に言っているだけって言う事かなァ~。
皆とはまさしく皆のことで、
誰一人として例外は無い!!
(釈迦以外はね)
僕も君も、道元ちゃんも南ちゃんも、
勿論イエスたんもZIP君も栄久さんも
モノは言い様、ケッコウ毛だらけ・・・
でも釈迦だけは違う訳ですよ。
なにせ釈迦だけは超越に産まれ、超越的に悟った訳だし・・・
母親の脇の下から産まれて、生まれた途端、立ち上がって歩いて
右手で天を指して「天上天下唯我独尊」と仰ったとかだし・・・
唯一、超越の道を歩んだ御方な訳だし、
だから釈迦だけは別格だね
単に抽象的な無目的な「象徴」ではない。
これは「国体」のことである。
「日本という運命共同体の統合」のことである。
日本は国体護持という条件をつけて、ポツダム宣言を受諾した。無条件ではない。
「天皇」号は、天武天皇から用いた。
その前は「おおきみ(大王)」。
日本だけでなくは、中国王朝から独立した。
西暦600年、最初の遣「隋」使派遣で通告した。
これは失敗したので中国側にだけ記録された。
この「隋」は漢民族ではなく、北方民族だった。
日本の国は「おおきみ」で統合していた。その始源は卑弥呼の下での連合国だろう。
この運命共同体の下で、今の共同体がある。
だから、そこに生きる者として、それまでの歴史も担っていく責任が発生する。
根無し草では有り得ない。
「個人」あっての「国家」
「国家」あっての「個人」
「仏教」の「縁起の思想」からそうなる。
「個人」絶対視は、西洋かぶれで偏見である。
国々、民族は、各々「独自の歴史」がある。
それぞれ「独自の世界観」で生きている。
イスラム原理主義の「自爆テロ」もそこから起こる。
日本国は、「言葉」ではなく「天皇という人物」で「日本国の統合」を象徴した。
表現をした。
昭和天皇の生き方を、ここで学び直す意味がある。
昨日・4月29日は、昭和天皇裕仁・天長節・誕生日である。
今後も、国民の祝う・祝日であり続ける。
言葉 虚実 嘘 咄家 歴史は勝利の側だけ 思い出噺 天皇家?お伽噺だろう
徳川城を占拠したままに気儘暮しなのだ薩長の大事な持ち駒のまま、まぁいいけどね
膨大な犠牲を払って、ようやく、一等国と認められて、
不平等条約の「関税の自主権」を回復できた。
これで、外国資本から国内産業を守ることができ、外国の支配を免れた。
アジアで独立国を維持できた。
これの恩恵を、現在の日本人は受けているのだから、日露戦争の膨大な戦死者に感謝せざるを得ない。
靖国神社はこのために建てられた。
運命共同体、歴史を共有する共同体とはこのセンスを受け継ぐところにある。と思う。
そのセンスがないと「根無し草」でしかない。
これは結局は妄想である。と思う。
象徴天皇制との間に厳然と存在する懸隔』
日本は「神という超越的な存在ではなく、
人間同士の間で、すべてを考えた」。
それが「世間」「恥の文化」。
だから「神さま」と「人間」とは、連続している。
八幡太郎義家は、八幡神社。
菅原道真は、天満宮。
東郷平八郎は、東郷神社。
徳川家康は、日光東照宮。
明治天皇は、明治神宮。
「神さま」には、善神もいれば、悪神もいる。
「神さま」を喜ばすには「人間を喜ばす方法」を使う。
自分を支配する絶対者などは存在しない。
だから、日本人には「この世界の創造神」などは不要だった。
つまり、この「世間」を基盤にして、
日本国憲法を「解釈して運用」すればよい。
極めて理念の憲法だったので、戦後、改正しなくても、十分に運用ができた。
幕末・明治維新で、内戦にならずに済ませることができた。
「天皇の下」で、収める事ができた。
徹底的に内戦になるリスクもあった。
薩長に英国が加担し、幕府軍にフランスが加担したら、めちゃめちゃになっていた。
江戸城の無血解放は、天皇制のお蔭である。
江戸八百八町は、戦火・焼かれずに済んだ。
「膨大な社会資本」が無傷で残った。
日本人には「内戦を避けるだけの智慧」があった。
この明治維新1868年から150年間の歴史を学ぶ良い機会になる。