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恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

独占インタビュー

2014年10月10日 | 日記
 むつ市の中学1年生・女子4人組が、「調べ学習(彼女らがそう言ってました)」のために、恐山にやってきました。なんでも、「責任者のお坊さん」にインタビューして、レポートを作るのだそうです。

「どうぞよろしくお願いします」(4人同時にペコリ)

「はい、よろしく」(院代なんとなく緊張)

「じゃあ、私から、最初にい・・・、恐山はどうして霊場なんですか?」

(おおっ!いきなり根源的な問題)

「うーん、あの歴史的な成り立ちとかは本を見れば出てくるから、図書館ででも調べてよ。それとは別に、霊場が霊場である理由という話をするなら、結局、気持ちの問題だな」

「ここへ来る人のですか?」

「そう。君たちだって、大切な人が死んでしまったら、ただ悲しいだけではすまなくて、いろんなことを思うだろう。それだけじゃなく、いつか自分が死ぬということに気が付けば、それが怖かったり考えたりすることもあるでしょ。他にもね、精一杯がんばっているのに、いつまでもよい結果が出なかったり、突然思いもよらない災難にあえば、どうしてこうなるんだろうと、胸が苦しくなるかもしれない」

「はい」(大きい目がさらに大きくなる)

「そういう思いをたくさん抱えた人が、それを預けていける場所が霊場なんだと思うよ。霊場はね、お坊さんではなくて、お参りする人が作るんだ」

(ちょっとイイ話、的な感じか?)

「じゃ、次、私ね」(両隣を見まわしてから、私にピタリ、眼の焦点を合わせた)

「霊っているんですか?」

(ど直球!)

「あ、あのね、・・・、君、そういう話するとき一番大事なのはね、お互い使っている言葉の意味が同じかどうか確かめることなんだよ。君、『霊』って言葉、どんな意味で使ってるの?」

「えーっ、お化けとか」

「君、家族に亡くなった人いるの?」

「おじいちゃんが・・・・」

「じゃあさ、おじいちゃんの霊って言ったら、それ、おじいちゃんのお化けのこと?」

「なんか、違うような・・・」

「ぼくさあ、霊もお化けも見たことないんだ。だから、いるともいないとも言えない。ただね、亡くなったおじいちゃんは、間違いなくいるね」

「えっ・・・」

「だって君、思い出すでしょう。思い出そうとしなくても、急に思い出すことがあるでしょう。いるからだよ。生きている人とは違うけど、いるから君の中に出てくるのさ」

「うん・・・」(女子、涙目。優しいおじいちゃんだったのか)

「じゃ、今度は私、お願いします」(大きめの眼鏡が可愛い)

「イタコさんが死んだ人と話せるって本当ですか?」

(ああ、知りたいんだろうねえ)

「それはさあ、イタコさんに聞いてくれないかな」

「わかりませんか・・・」

「わるいけど、当事者でないからねえ」

「・・・・・」(眼鏡女子、当惑)

「あの、それもさあ、さっきの話と同じでね、イタコさんの話を聞いた人が本当だと思うかどうかの問題で、誰にも確かめようがないと思うよ」

「はい・・・」(眼鏡女子、落胆)

「それよりさ、本当かどうかよりもさ、大事なのは、話を聞いた人がどんな気持ちになるかだな。ぼくはね、聞いた人が穏やかな、安心した気持ちになれるといいなと、いつもそう思う」

「もういい? 私で?」(いよいよ4番打者です)

「恐山で毎日何してるんですか?」

「えっ!」

(院代、虚を突かれて狼狽)

「何って、その・・・、亡くなった人のご供養に来た人に供養の儀式をして・・・、お坊さんと話をしたい人とは話をして・・・」

「そうですか」(それだけですか?と言われているような)

「いや・・・、けっこういろいろと忙しいんだが、あれ、何してたかなあ・・・」

「大変でしょうけど、お仕事頑張ってください!」

「はい、ありがとう!」

(なんか、院代、情けないぞ)

追記:次回「仏教・私流」は、10月24日(金)午後6時半より、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (はてな)
2014-10-16 20:25:41
投稿者 1番バッターですな ・・・

名刀正宗に限らずとも鋭利でありながら美しさをもたらすものに共通することは、作者のこころの「暖かさ」でしょう。

何時もながら敬服するのがこれですね。

>「それよりさ、本当かどうかよりもさ、大事なのは、話を聞いた人がどんな気持ちになるかだな。ぼくはね、聞いた人が穏やかな、安心した気持ちになれるといいなと、いつもそう思う」

本質や根源を鋭利な目で問いながらも表現される言葉に暖かさが醸し出されるという事態 ・・・ これぞお坊さんですよね。
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最高のお話です。 (cuoredimasa)
2014-10-17 04:30:34
昨今、つまらない芸人や作られ過ぎた資本主義の物売りばかり横行してそれに左右されている人が目立ちますが、反面、純粋な気持ちに対応できない大人-あたふた感じはとても共感できます。私も姪が小さい頃、図書館で宇宙の仕組みを教えてくれ!と言われ呆然としたことを思い出します。彼女は今は大人ですが、そんな記憶がないと思いますが、当時自分はその質問でおろおろしてしまいました。
色々本を探して一緒に調べましたが、誰も分かりっこないし、分かっていればここに自分はいないのではないとも思いつつ、大変でした。しかし、重要なポイントとして、私も中学生の頃、生きるについて凄く考えたし、体が半分違う世界に飛び出して、自分とは何なのか、鏡を見ながら幽体離脱した感覚がありました。家庭環境もあるのかもしれませんが、恐山に取材にくるって事は、学校の支持があったにしろ凄いことだと思います。僕も中学生の頃に伺ったら、同じ質問をしたかもしれません。
今は生きる意味は、誰も分からないから良いのだろうと勝手な理解をしている自分に反省した日記でした。
有難うございました。
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自然の摂理 (はてな)
2014-10-17 07:16:02
摂理を摂理として捉えられ受容できるならば、それはそれで「そのまんま」ですが、それができないのが人特有の意思が織り成す事態だから、在り方を問えばよいのだけれど「それができない」のが大多数でしょうね。

それを心得た詐欺師にとっては、可笑しくて嬉しくてたまらないだろうね。 直哉さんは教祖(詐欺師)にはならないと言っているのだから、安全安心な人物ですね。
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