恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

別れを取り戻す

2020年09月30日 | 日記
 岩手県の新聞社から依頼されて、「復元納棺師」の肩書を持つ笹原留似子さんと対談しました。

「復元納棺師」とは、笹原さんがたった一人で始めた活動に、依頼者が名付けた呼称だそうです。つまり、彼女以前にそのような仕事をする人は無く、彼女が始め、開拓し、育てた技術なのです。

「納棺師」と言う仕事は、すでに知られています。遺体の身と衣服を調え、棺に納める業務です。

 他に「エンバーミング」と呼ばれる仕事もあります。これは遺体を消毒・保存処理したり、部分的に修復する技術です。

 笹原さんの仕事は、これらとは違います。彼女は、事件・事故・災害などで大きく損壊した遺体を、生前の面影に近いところまで「復元」し、遺族が大切な人との「別れ」を実感し、納得できるように導くことなのです。

 私はいくつかの遺体のビフォー・アフターの写真を見せてもらいましたが、実に驚くべき技術でした。

 他人が見たらトラウマになりそうな、損壊と腐敗のある死体です。触ることはおろか、見ることもできない人は少なくないでしょう。

 ですが、当時医療機関に勤務していた彼女は、宗教家であった母親を通じて初めての依頼が突然あったとき、事情もよく呑み込めず現場に行き、いきなり死体を見せられたのだそうです。

 遺族や周囲の人からなんとか修復してくれと頼まれ、驚いたり恐怖に駆られる以前に、悲嘆する遺族を見て、「何とかしなければならない」と覚悟を決め、半ば剥がれた顔の皮膚を手でつかんで伸ばすことから始めたと言います。それができたところに、私などは彼女の「才能」を感じざるをえないところです。

 以後、依頼に応じて自分だけで学び工夫して技術を高め、さらにそれが評判を呼ぶようになったのだそうです。そして、その活動が劇的に広がったのが、東日本大震災の厖大な犠牲者と遺族のための活動でした。

 笹原さんの「復元」の目的であり要諦は、遺体に生前の表情を取り戻し、遺族が大切な人との「別れ」を十分にできるようにすることです。したがって、単に物理的に復元しても無意味であり、遺族との対話を重ねて、その人らしい面影を作り上げていかねばなりません。

「笑い皺が見つかると嬉しい。それを頼りに復元していくと、優しい表情が戻るんです」

 彼女のこの言葉が、「復元」がただの「修復」とはまったく違うことを、如実に語っています。

 震災で母親を亡くした男の子は、ずっと悲しそうな表情を見せず、棺にも寄り付かなったそうです。笹原さんは夫たる父親に依頼され、その母親の遺体を、何度も会話を重ね、3時間近くかけて修復しました。

 ようやく復元が終わり、いやがる息子を父親が無理に引っ張って、棺の中の母親と対面させたとき、息子は初めてわっとばかりに大声で泣き出し、号泣は止まなかったそうです。

 突然母親を奪われた衝撃は、まだ幼い息子には理解しがたい出来事で、悲しむ余裕も泣く力も出なかったに違いありません。おそらくは、笹原さんによって蘇った母の顔に出会って、凍結していた彼の感情が一挙に流れ出したということでしょう。

 以前に本ブログで「葬式の意味」という記事に書きましたが、笹原さんは、いわば「死体」に人格を取り返し、正にある人の「遺体」とするという、極めて重要な仕事のパイオニアなのです。それによって初めて納得のいく「別れ」ができるようになり、ついに死者が立ち上がるわけです。その死者と遺族が関係を結び直していく営みを「弔い」と言うのだと、私は思います。

 笹原さんのお話でもう一つ非常に印象深かったのは、虐待死した幼児の遺体の復元の例でした。

 3歳くらいにしか見えないその子供は、母親のネグレクトによる餓死だったそうです。骨と皮だけになったその遺体の復元は、母親ではなく、警察や救急など、その時初めて遺体に接した人々が子供への同情のあまり(何人もが男泣きに泣いて、その子を抱いたそうです)、依頼してきたのです。

 母親は、復元の過程も、復元を終わった後も、子供を見ようともしなかったそうです。笹原さんは、自ら母親の手をとって、その顔に触れさせました。

「冷たい」
「そうだね。死ぬと冷たくなっちゃうんだよ」

 私は、そのときのことを語る笹原さんの表情に、母親を責める気持ちを見ませんでした。

 もちろん、母親の罪は言語道断です。どれほど非難されても仕方が無いでしょう。私も似たようなニュースに接するたび、大きな憤りを禁じ得ません。

 しかし、私はそういう時にいつも、憤りとは別に、そういうことをしてしまった親の事情、彼または彼女がそれまでどういう生き方、在り方をしていたかが、思われてなりません。

 もしかしたら、幼少期に安心できる場所がなかったのではないか。普通なら親や、そうでなくても誰か大人に、自分自身を十分に肯定され、受け容れられ、自分はここにいていいんだと、心から思える体験を奪われていたのではないのか。

 いわゆる「虐待の連鎖」とは、自己の居場所を奪われ続けた者の連なりのことのように、私は思うのです。

「死者」が立ち上がり、それを立ち上げる人が「遺族」となる過程を思う時、笹原さんのお話と仕事は、私に多くのことを教えてくれました。

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