くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ぼくの短歌ノート」穂村弘

2015-08-08 05:23:58 | 詩歌
「円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先いろいろの事があるらむ」
「人間は予感なしに病むことあり癒えれば楽しなほらねばこまる」
「数学のつもりになりて考へしに五目ならべに勝ちにけるかも」

 ならべは漢字ですが、変換できなかったのでごめんなさい。
 斎藤茂吉の短歌です。これを穂村さんは「天然的傑作」と言っております。あまりにもそのまんまだ、と。
 わたくし、ひさしぶりに茂吉記念館に行きたいと思っておりまして。
 そんななか、手に取ったのが「ぼくの短歌ノート」(講談社)。
 おもしろい。短歌の本ってとっつきにくそうな印象ですが、穂村さんの語り口がユニークです。ジャンルごとに分けられた短歌の不思議な調和。
 プロから投稿者まで多種多様の短歌が紹介されます。
「水気なきはずの抽斗その中のゼムクリップが錆びていたりき」岡本幸緒
「父の中の小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋」小島ゆかり
「祖父なんばん 祖母トンガラシ 父七味 母鷹の爪 兄辛いやつ」踝踵
これは家庭でどのように呼ぶかが一人ひとり違うということを詠んだもの。でも、いちばん気になるのは、作者本人がいったいどう呼んでいるのかということですよね。穂村さんも同じようにおっしゃっていて、膝を打ちました。
「『百万ドルの夜景』というが米ドルか香港ドルかいつのレートか」松本秀

 なかでもおもしろかったのが、間違いのある短歌。与謝野晶子の鎌倉大仏を「釈迦牟尼」と言ってしまったもの(大仏は阿弥陀如来)や、手書きの「兎」という字を「鬼」と読まれてしまったために新しい感覚になった作品。そしてこんなのも。
「誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど」大松達知
 教科書に載る短歌は近代のものが多いので、現代の作品も紹介したいものです。
 こういう本を読んでいると、もっと知りたい歌人が出てきますね。小池光と葛岡妙子を読みたいと思いました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿