くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「それってどうなの主義」斎藤美奈子

2010-03-02 05:46:30 | 社会科学・教育
ドリトル先生を知らない人がいる!
まあ、それはわからないでもない。どこの学校にもこのシリーズあるかと思うのですが、借りている子を見たことがないのです……。いや、わたしは読みましたよ。小中学生のとき。
斎藤美奈子が言うには、読んだことがなくとも「知っている」状態が、いつの間にか知らないレベルに落ちている。「常識」ではなくなっているのですね。

「それってどうなの主義」(白水社)です。通称「そ連」ていうのがおかしい。
蔵書整理を兼ねて図書室に寄附しようと思ったのに、読み始めたらおもしろくなって、結局全部読み返したのでした。政治や教育などについて、新聞や雑誌に寄稿したものをまとめたそうです。
「雪国はつらつ常例」を「雪国はつらいよ常例」と誤植したニュース、ありましたね。地震などのときには「中越」と範囲を広くとるのに、原発となると「巻」という焦点化した地名をつける。そういう手段でごまかしている例がほかにもあるのではないか。それから、地震は戦後のイメージとだぶるものがあるのではないか。そんなふうに斎藤さんがものを見ているのを、ふむふむと聞いてみてください。それまで、何となく違和感がありながらも、それは仕方がないと感じるならばとくに。
「それってどうなの」と。日常の瑣末なことかも知れません。声をあげたからといって、一気に社会が転換するのでもないでしょう。でも、些細なことから何か始まるかも。
まあ、そんなことをいっているわたしは、ついあやふやにしがちですけどね。もしかすると、わたしの行動の方が「それってどうなの」かもしれないし。
新潟新聞に連載していただけあって、ご当地ネタが多いのですが、近藤ようこさんと高橋留美子さんが高校で同級生という話には「へぇー」と思いますし、同様に斎藤さんは森達也さんと同級と聞いて、何だか不思議な感じです。
あと、やっぱりわたしが気になるのは教育の問題だというのがよくわかりました。主要五教科が優先されていて、四教科がないがしろにされていないか。ボタンつけができるようになったのも家庭科があればこそ。日常の生活に関わりがある部分を大切にしないと、やがて逆襲される日がくるのでは……。ごもっとも。
すべての教科は実践的側面をもっています。数学なんて大人になったら使わないと考える人もいるみたいだけど、あれは思考を育てる学問だと思う。中でも四教科は、家庭でも教えなくなっている傾向が強いのでは。
ほかにも「ちびくろサンボ」の虎の国籍とか国旗掲揚の問題とか、目から鱗の話題が山盛りです。
世の中の在り方、ふと「これでいいのかな」と考えてる時間、必要なのかも知れません。