岸田首相が安倍さんの遺志を継いでいると思っている人は、岩盤保守では皆無ではないだろうか。LGBT法案をゴリ押しし、米国との核の共有について議論することも拒否し、経済政策では、まさしく財務省の言いなりの緊縮派である。
そんな人間が安倍さんの政策を継承しているわけがない。一周忌にあたる昨日、岸田首相は「安倍氏のご遺志に報いるために、先送りのできない課題で答えを出さなければならないとの思いで職務に努めてきた」と語ったが、その言葉に空々しさを感じたのは、私だけではないだろう。
さらに安倍派のなかにも、安倍さんの思いに反して、LGBT法案に加担したり、岩盤保守を「ネトウヨ」呼ばわりするの者まで出てくる始末だ。タガが外れたおとで、自分のことしか考えられないのである。
これでは岩盤保守がそっぽを向いても仕方がない。何度でも言うが、自民党内の保守派が反転攻勢に打って出るには、安倍派が一丸となって高市早苗さんを総理総裁に担ぎ、その勢いで自民党をリベラル派から奪還することなのである。
安倍派の幹部の頭の中にあるのは、自分が総理総裁になることであって、高市さんを担ぐ気など微塵もないのである。それよりは岸田首相に尻尾を振った方がいいと考えているのだろう。
彼らの中には危機意識が欠けているのではないか。そのときにどのように身を処するかについて考えて置くと同時に、今何を為すべきかを政治は語らなければならないのである。
岸田首相ばかりでなく、安倍派の大半も危機が迫ってくることの理解が乏しい。米国の兵器を買うことで平和が維持されると勘違いしている。国を守る気概と、一致団結する精神が日本国民になければ、とんでもない目に遭うことになるのを、露ほども理解していないのである。
今は亡き安倍さんは、現在の日本の姿をみて悲憤慷慨しているに違いない。岸田首相に日本丸の舵取りを続けさせておくべきではなく、一刻も早く退陣に追い込むべきなのである。
日本のインテリのフランス礼賛は、あまりにも異常であった。マルクス主義の影響もあって、フランス革命をブルジョア革命と理解して、その物差しで日本の歴史を裁断しようとしたのである。
だからこそ遠山茂樹などは「自由民権運動は、結局において、知識人という性格をあわせもつ士族と地主の指導する上からの啓蒙運動の域を脱しきれなかった」(『日本近代史Ⅰ』)と断言し、「ブルジョア的発展雄未成熟が、自由・平等・人権。革命という政治意識を政治意識を外来的な物、非日常的なものの止めさせ」(『同』)とまで書いたのである。
そこまで遠山はフランスを理想化しているが、フランスは戦後長らく植民地を持っていた国家であり、現在の内乱状態というのは、そのツケが回ってきただけなのである。
そのフランスの物差しで、日本を遅れた国と規定した者たちの古めかしい思想が、未だに日本の言論界を支配しているのである。フランスで起きているとんでもない事態を、ほとんどテレビが報道しないのは、自分たちが言ってきたことと、真逆のことが起きているからだ。
明治維新というのは、欧米化を推進しただけではなく、「和を以て尊ぶべし」との肇国の精神に立ち返ることであった。国会開設も、議会政治も、我が国独自の歩みをしてきたのである。
もう一度それを見直すべきではないだろうか。パリのモンマルトルは日本にはない、それを日本の知識人は嘆いていたが、それはあまりにも卑屈な態度なのである。
植民地政策を長年にわたって続けてきたフランスは、アルジェリアの移民の対応の頭を悩ませることになったのである。安易な移民政策を行えば、そのような結末を迎えるのだ。そうした政策でいいのかどうか、日本は立ち止まって考えるときなのである。