草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

皇室祭祀の重要な行事である大嘗祭は私事にはあらず!

2018年12月10日 | 思想家

いくら秋篠宮様の発言であろうとも、異議を唱えなければならない。民主化なるものによって、皇室の根本が失われてしまうのは問題である。秋篠宮様が来年の皇位継承に伴う大嘗祭の公費支出について疑問を呈されたのには驚いた。「皇室の家庭行事」と述べたからである。そこまで謙遜される必要がないのに、周囲の者が大嘗祭についての説明を怠ってきたからだろう▼大原康男は『天皇―その論の変遷と皇室制度』において、大嘗祭の意義について書いている。「大嘗祭は、皇位に即かれた天皇が最初に親祭される新嘗祭のことで、皇祖天照大神ならびに天神地祇を祭って新穀を供し、またみずから共食され、これによって天皇としての<いのち>を得られるところに本質がある」▼さらに、大原は「その起源も、古事記・日本書紀の伝えるところによれば、遠く神話時代までさかのぼることができるといわれ、江戸時代まではシナ風が混じったこともあった即位の礼とは違って、践祚とともに純粋に国風・国式の儀礼といっていい」とも指摘している▼大嘗祭によって、天皇は天皇となり、皇祖皇宗としての天照大神と一体となるのだ。現憲法の象徴天皇においても、それは否定されたわけではない。公費をあてることは当然であり、大嘗祭において、私たち日本人は、皇室を押し戴く日本人であることを自覚するのである。その観点からしても、開かれた皇室への動きは、かえって皇室を貶めるだけなのである。

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