草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

新左翼の廣松渉も認めた大東亜共栄圏の意義

2022年12月08日 | 思想家
 十二月八日は日米戦争開戦の日であるが、そこで我が国が掲げた「大東亜共栄圏」というスローガンの意義を、今こそ再度問うべきではないだろうか。
 大ブンド主義者で、新左翼の廣松渉が晩年になって朝日新聞に投稿した文章において「大東亜共栄圏」を再評価するような書き方をしていた。「東北アジアが歴史の主役に」「欧米世界観は崩壊へ」「日中を軸に『東亜』の新体制を」という見出しが付けられていたからだ。
 いくらマルクス主義者であった廣松が、口では「反体制左翼」の論理と主張しようとも、その根本には、先の戦争の指導原理ともなった、京都学派の言説との一致点が多い。
 このことについて坂本多加雄は、秦郁彦、半藤一利、保坂正康と対談した『昭和史の論点』において、独自の見方を述べている。坂本は、第一次近衛内閣で「東亜新秩序」、第二次近衛内閣で「大東亜共栄圏」という言葉が使われたことを重視し、その根本にあった思想について言及したのである。
「この政治的な動きを支えた思想としてさまざまな言説がありますが、後に京都学派と呼ばれた人たちを見ると大東亜共栄圏の意味がよく見えてくる。たとえば昭和十六年の末から高山岩男、鈴木成高、高坂正顕、西谷啓治らが三回、座談会を行ない、昭和十八年のはじめに『世界史的立場』として刊行される。ここには、東アジアには独自の秩序があり、従来のヨーロッパ国際法的な観念でこれを律することはできない、そして東アジアが日本を中心に新しい秩序でまとまることには世界史的な意味がある、という当時の思想的ムードが横溢しています」
 つまり、廣松が「京都学派」の焼き直しの議論を呼びかけたのである。新左翼である廣松が、スターリン主義的全体主義の中国を盟主と認めるわけにはいくまい。その観点からも京都学派とは大差がないのである。
 そう考えると、親中派の面々が、廣松を利用しようとしても、それは無理な話なのである。まずは京都学派の言い分に耳を傾けるべきだろう。中国に膝を屈するような「東アジア共同体論」とは別なアプローチなのだから。

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