日本にリベラルなど存在しないのである。ことさら人権や差別をことさら振り回す者たちは、中共や韓国の代弁をしているだけなのである。それを承知していながら、彼らは擁護する朝日新聞、毎日新聞、さらに東京新聞などは最悪である。まともな記者がいるはずなのに、どうして声を上げないのか不思議でならない。いかに主義主張が違っていようとも、一方的に相手を断罪するのはリベラルと無縁である▼ハンナ・アレントは自由について「政治と自由とは同義語である」と述べていた。アレントは『過去と未来の間』(齋藤純一訳)において踏み込んだ議論を展開している。「自由であるためには、人は、生命の必要から自ら自身を解放していなければならない。しかし、自由であるという状態は解放の作用から自動的に帰結するものではない。自由は、たんなる解放に加えて、同じ状態にいる他者と共にあることを必要とし、さらに、他者と出会うための共通の公共空間、言い換えれば、自由人誰もが言葉と行いとによって現れる政治的に組織された世界を必要とした」▼分りやすく要約するなら、圧政から解き放たれることのみでは、自由を手にしたことにはならないというのだ。自由に物を言ったり、行動したりすることができる「共通の公共空間」が不可欠であることを指摘したのだった。本当のリベラルであるならば、レッテルを貼って反対派を黙らせることはしないはずだ。その原点を見失った日本のリベラルがリベラルを名乗るのは、おごがましいことなのである。
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