草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

反日国家のお先棒を担ぐリベラルはリベラルにあらず!

2017年02月07日 | 思想家

日本にリベラルなど存在しないのである。ことさら人権や差別をことさら振り回す者たちは、中共や韓国の代弁をしているだけなのである。それを承知していながら、彼らは擁護する朝日新聞、毎日新聞、さらに東京新聞などは最悪である。まともな記者がいるはずなのに、どうして声を上げないのか不思議でならない。いかに主義主張が違っていようとも、一方的に相手を断罪するのはリベラルと無縁である▼ハンナ・アレントは自由について「政治と自由とは同義語である」と述べていた。アレントは『過去と未来の間』(齋藤純一訳)において踏み込んだ議論を展開している。「自由であるためには、人は、生命の必要から自ら自身を解放していなければならない。しかし、自由であるという状態は解放の作用から自動的に帰結するものではない。自由は、たんなる解放に加えて、同じ状態にいる他者と共にあることを必要とし、さらに、他者と出会うための共通の公共空間、言い換えれば、自由人誰もが言葉と行いとによって現れる政治的に組織された世界を必要とした」▼分りやすく要約するなら、圧政から解き放たれることのみでは、自由を手にしたことにはならないというのだ。自由に物を言ったり、行動したりすることができる「共通の公共空間」が不可欠であることを指摘したのだった。本当のリベラルであるならば、レッテルを貼って反対派を黙らせることはしないはずだ。その原点を見失った日本のリベラルがリベラルを名乗るのは、おごがましいことなのである。

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日本を根本から変えるのはリベラルではなく新たな保守の力だ!

2017年02月07日 | 祖国日本を救う運動

世界的な潮流になりつつある大衆の反乱は、保守派による決起である。そのことに目を向けずして、トランプを論ずるべきではないだろう。グローバリズムで恩恵を受けているはずのアメリカが、そこから離脱しようとしているのだ。誰がそんなことを予想しえただろう▼日本でも同様の動きが顕在化している。既成の保守政党の縛りを無視して、自然発生的に行動する保守運動への支持が広がっている。街頭に繰り出す彼らの勢力は少数であっても、多くの日本人が心情的に共鳴している。戦後国家たり得なかった日本は、いくら保守政権が長期に続いても、反日国家に身構えることはなかった。一方的に償いを求めて来るのに対して、その場しのぎの対応をしてきただけであった▼今の若者の保守化は顕著であり、昔ながらの戦後民主主義に縋り付いているのは、団塊の世代のロートルが中心である。自虐と屈辱の日本に終止符を打つのは若い世代なのである。日本の歴史を振り返ってみても、いつの時代も突破口をつくったのは若者の急進的な運動であった。政治的なイデオローグがいなくても、吉本隆明が書いていたように「大衆はさまざまなイデオロギーの萌芽を萌芽のまま行動によって語る」(『擬制の終焉』)のだから、行動する保守運動を過少評価すべきではないだろう。まずは日本を取り戻すために立ち上がることなのである。

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