2022.1.11放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
4章の後半、イエス様がシモン・ペテロの家に入った時、ペテロの姑がひどい熱を出していました。そのペテロの姑に手を置いて、イエス様が癒やしてくださったのです。
この後ペテロはイエス様から「あなたは人間を取る漁師になります」と十二人の使徒に選ばれます。そしてペテロはすべてを捨ててイエス様に従っていきます。これはペテロが妻と姑を家に残して、イエス様と宣教旅行に出ていくことになることを意味していました。夫婦が家族が別居生活になってしまうのです。
もしこのタイミングでペテロの姑が癒やされ、姑自身も喜んでイエス様を歓迎する経験がなかったなら、ペテロは安心して家をあけることが出来なかったでしょう。「あなたの夫は、あなたと私を置いて、よくイエスとやらと出て行ったわね。」と妻の母から言われることとなったでしょう。
しかしイエス様は直々にペテロの家を訪ね、ペテロの姑に手を当てて癒やされました。この癒やしはペテロの妻と姑にとっても、喜んで夫をあるいは義理の息子を送り出すことが出来たでしょう。「後のことは任せておいて」と。ペテロも安心して家を空け、家を離れることができたでしょう。
イエス様はやがて「家族を捨て、自分の十字架を負いなさい」と語られました。強く厳しいことばです。しかし、このことばを聞いたペテロは、「イエス様こそが自分の家族のもとに来てくださった」 そんな証を自分が持っていることを誇りに思ったでしょう。彼の信仰の出発点でもあったのです。自分の家族を大切にしてくださるイエス様の姿が、ペテロにとって「人間を取る漁師になる」という召しを受け取る前提にあったのです。
教会で「奉仕のため」「伝道のため」と言って、家族がないがしろになることがあってはなりません。「神様のため」ということばで家族を犠牲にして、教会の奉仕を優先するならば、子どもたちは「お父さんは自分たちよりも、教会を愛しているんだ」と教会を愛せなくなってしまい、教会から離れていってしまうでしょう。
イエス様の望んでおられることは、イエス様ご自身が私たちの家族の手をきちんと取ってくださること。「今はまだそうではないかもしれない。でも必ず救いを与えてくださる。」 そう信じて今日も私たちは私たちの家族を大切にしてくださるイエス様の眼差しとともに家族を見つめていきたい。そして家族と時間を過ごしていきたいと思います。
(PBA制作「世の光」2022.1.11放送でのお話しより)
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