2022.1.13放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、4章は、引き続きカペナウム伝道の様子が描かれています。
ペテロの姑の癒やしの後、日が沈むのを待って、たくさんの人がイエス様のもとへ、病気の友人を、病気の家族を連れてきました。イエス様はその一つ一つの求めに応じて、「一人ひとりに手を置いて癒やされた」とあります。「朝になって」(42節)とありますから、一晩中イエス様は一人ひとりに手を置かれたんでしょう。話しを聞きながら癒やしをなさいました。
するとイエス様は、「朝になると、寂しいところへ行かれた」とあります。群衆はイエス様を捜し回ります。引き止めて置こうとしました。しかし、そのような人々の必要をも振り切ってイエス様が選ばれたことは「寂しいところで」父なる神に祈ることでした。
私たちは今週もいろいろな必要を持っています。色んな人の声を聞きます。家族のたくさんの必要も抱えています。すると、あれもしてあげたい、これもしてあげたい、と思います。あの人にはあれをしてあげた、この人にはそれが出来ていない。中には、不公平ではないか、というような顔をされることもあります。自分が少し無理をしてでもやってあげないといけないのではないか、と思うことがあります。
しかし、そのようなたくさんの必要がある中でイエス様が選ばれたのは「寂しいところに行く」ということでした。そこで一体何をなされたのか。父なる神様との祈りの時間を持たれたのです。イエス様が寂しい静まった所で一人、神様との祈りの時間をイエス様は大切にされていました。
忙しく過ごす私たちにも必要なことがあります。それは一人で神様の前で静まって心と体と魂を休める時間です。そうでなければ心も体も疲れきって、本当は優しい気持ちで始めたことであるのに、自分ばっかりやっているではないか、と不満が出てきます。疲れきった体が言わなくてもいい事を言ってしまうんです。
イエス様は何よりもこの父なる神様との時間を大切にされていました。このラジオ『世の光』をお聞きのこの時間も皆さんにとって、魂を休ませる大切な時間なのではないでしょうか。多くの必要に取り掛かる前に、一日を始めるこの時間をこれからも大切にしていただきたいと思います。このラジオの前の数分間が、あなたの心に余裕と優しさをもたらします。イエス様のように静かに一日を思い巡らし、祈って今日を始めていきましょう。
(PBA制作「世の光」2022.1.13放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。