2022.1.12放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週は引き続きイエス様のカペナウム伝道の様子をお話ししています。
イエス様が弟子となっていくシモン・ペテロの家に入った時、ペテロの姑が熱を出していました。そのペテロの姑にイエス様が手を置いて癒やしてくださったのです。すると義理のお母さんの熱が癒され、イエス様を「もてなした」とあります。
この姑の「もてなした」ということばは「奉仕をした」という意味のことばです。彼女はこのときに信仰を持った、と言って良いでしょう。また、この「もてなした」ということばは「もてなし続けた」という意味です。つまり、いつもイエス様一行をペテロの家は迎えたということになります。そして、この家でペテロとペテロの姑のもてなしをイエス様一行は受けた。聖書でイエス様に一番最初の奉仕をしたと記されているのがペテロの姑です。弟子もまだいないイエス様、誰もまだイエス様に奉仕をすることのない中で、イエス様の一番最初の奉仕者になったのが、ペテロの姑だったのです。ペテロよりも先に姑が奉仕者になりました。
さらにこの後、使徒の働きでは、ペテロが妻を連れて伝道旅行に出かけて行く姿が描かれています。イエス様の弟子として歩んだ三年ぐらいの別居生活でも、夫婦関係が守られていたんです。ペテロの妻もイエス様のことを伝道することに、夫と共に奉仕をしました。ペテロは自分だけではない、妻も妻の家族も一緒にイエス様に奉仕をしました。
私たちの家族がイエス様の奉仕者となる日が来ることは何と嬉しく、何と祈りを豊かにしてくれることかと思います。
私が初めて京都の福知山の教会で教会学校の奉仕を高校生の時にしました。母がとっても喜んでくれました。今、私にも学生の娘と息子がいますが、一緒に教会学校の奉仕をしています。娘は小学校を担当し、息子は高校生を担当しています。昨年の夏のキャンプは小学生を前に、娘は小学生の時に受けた自分の辛い経験を涙ながらに話してくれました。でもその経験があったからイエス様に出会えたんだと話ししたんです。聞いている私も一緒に泣きながら、何とも言えない感動の経験をいたしました。
まだ信仰を持っていない家族もまたやがての日、神様のために奉仕者になる日が来ます。今、イエス様が私たちよりも先に家族のところに行ってくださる。そしてそこで癒やし、みことばを分かち合おうとしてくださるのです。
(PBA制作「世の光」2022.1.12放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。