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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主がお入用なのです

2010年09月18日 | Weblog
2010/9/18放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 「あなたがどうしても必要なんです。」 そう言われると何だか嬉しくて力が湧いてきますよね。 ある時イエス様は弟子たちにこう言われました。 新約聖書ルカの福音書19章30節からのことばです。 

 「向こうの村に行きなさい。そこにはいると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』

 イエス様はこの時、エルサレムの都に入城しようとしておられました。 当時の王様たちは都に入城するときには立派な軍馬を用いて力と権威を示していました。 ですがこの時にイエス様が「大切だ」「必要だ」と言われたのは意外にも小さなロバの子であったと言います。

 神様が必要としてくださる人材、それは知恵と力と経験に満ちた立派な人物ではありません。 いやむしろ知恵も力も経験もない、誰にも目を留められることのない、そんな小さなロバの子のような人を神様は「大切だ」「必要だ」と言ってくださるのです。 たとえ馬のようには早くは走れなくても、たとえライオンのようには強くなくても、それでも神様はあなたがあなたであるが故に、あなたを愛し、あなたを重んじ、あなたと共に歩んでくださるお方です。 

 「主がお入用なのです。」 あなたも神様に愛され、神様に必要とされている大切な存在です。 たとえ自分では力がない、知恵もない、経験もないと思っていたとしても、あなただからこそ、ロバの子だからこそできる大切なことがある、と聖書は教えています。 あなたを大切な存在として重んじてくださる神様、そんな神様と一歩一歩いっしょに歩んでみませんか? 

 聖書のことは

 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
         新約聖書 コリント人への手紙第二 12章9節 

       (PBA制作「世の光」2010.9.18放送でのお話しより )

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)


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■相手に合わせて

2010年09月17日 | Weblog
2010/9/17放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

 『ガリバー旅行記』を書いたジョナサン・スイフトが若者との歩み、また年輩の方との歩みについてこんな文章を残しています。 少し長いですけれどもお読みします。 

 「お年寄りは若い人に対して厳しすぎないで、若者らしい愚かさと弱さを大目に見てやろう。 あなたが批判して、それで若い人が変わる訳ではない。 老人が若い人とつきあうということは、老人が若い人と一緒にテニスをしよう、と言うようなものだ。 若い人はスローペースでテニスをすることを余儀無くされる。 若い人に対して言いたい。 今、十代、二十代の若い人たち、君たちが老人を見たら自分もそうなると思いなさい。 自分の将来のシンボルは目の前の老人と思って老人とつきあいなさい。 老人とテニスしなさい。 相手にペースを強いるようなハイペースではないテニスをしなさい。」

 ついつい自分の側からしか物事を見ることができずに、いつのまにか他の人を傷つけてしまうことがある私たちです。 人々と一緒に歩むには、自分を知る視点、そして相手に合わせるという優しさの視点が必要なのですね。 

 新約聖書のローマ人への手紙15章1節、2節にはこのようなことばがあります。 

 「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

 自分に他人(ひと)を合わせようとするのではなく、他人(ひと)に自分を合わせること。 自分を喜ばせるのではなく、他の人を喜ばせることが大切だと言います。

 しかし、分っていてもなかなかできません。 どうすればよいのでしょうか。 人を愛しその人の歩みに寄り添う歩みは神の愛によってなされる、と聖書は語っています。 神の独り子であるイエス・キリストがあなたを愛し、弱さの中にあるあなたに歩調を合わせ、一緒に歩み、あなたの苦しみを共に担ってくださるからです。 このイエス・キリストの愛に生かされる時、あなたも愛を届け、人と共に歩む者へと変えられていくことができます。  あなたも愛の人生 ---他の人と共に歩み、他の人を心から愛し愛を届けるそのような歩み--- へと踏み出してみませんか? 

 それではまた聴いてください。
 
   (PBA制作「世の光」2010.9.17放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神は人格を持つお方である

2010年09月16日 | Weblog
2010/9/16放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「神は人格を持つお方である」です。 それではイザヤ書45章5節から読んでみましょう。

 「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。

 今日は、神が人格を持っておられる、というお話しです。 人格を持つとはどういうことでしょうか。 例えば、私たちは動物や植物に人格を認めることはありません。 なぜかと言えば、一つには、動物は本能的に行動し、人間のように物事を考え抜いて意志力を働かせて行動することはないからです。 人間には意志の力があります。 ああしたい、こうしたい、そういう主張があります。 それが人格を感じさせる所ですねえ。 神もそのような意志力を働かせて、この天地万物や人をお造りになったお方です。

 そこで第二に、私たちは知性にその人らしさというものを感じます。 同じように、神が創造されたという秩序とバランスの取れた世界を見るときに、神の知性を感じ、神の人柄を思う訳ですね。

 そして第三に、人格は感情によって表わされます。 神は人間の邪悪さ、罪深さを悲しまれます。 しかし人間の誠実さや正しさを喜ばれますねえ。 感情のないものに私たちは人格を感じることができません。 

 最後に、人格があるということは自己意識があるということでしょう。 「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。」 神は、神であると言えるのは自分だけである、とはっきり自分の存在を認めておられるのです。あなたもそのように神様の人格を日々感じてきたことでしょうか。 

 神様は人格を持ち、ものごとを感じ、考え、意志される方であるからこそ私たちは何でも打ち明けるように神に祈ることができるのです。 神様は目に見えることができません。 私たちのような身体もありません。  しかし私たちと同じように人格を持ち、心を交わすことのできるお方です。 あなたもその神を認めて神様に信頼を寄せて、神様を呼び求めてみませんか?

  ( PBA制作「世の光」2010.9.16放送でのお話より )

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でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
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■いま死んじゃ困る

2010年09月15日 | Weblog
2010/9/15放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 

 人は自分が死ぬことを自覚したとき、どんなことばを口にするのでしょうか。 夏目漱石は最後の息を引き取る前に、にわかに首を振りながら、「ああ苦しい、ああ苦しい。 いま死んじゃ困る。 いま死んじゃ困る。」と言ったそうです。 

 夏目漱石と言えば、晩年には自分本位のエゴを捨てて自然の摂理に従うという則天去私(そくてんきょし)の心境に達したと言われていましたから、そこにいた人は「いま死んじゃ困る。」というこのことばに驚いたそうです。 しかしさすがの夏目漱石も自然の摂理である自分の死を予感した時、それに従うことができなかったのです。 

 人は自分が死ぬことを思うとき、誰もが大きな不安を感じるのではないでしょうか。 夏目漱石のように自分の死について考えた小学生の女の子がいます。

 その子はテレビのドラマで、人が病気や事故で死んでしまうのがとても恐かったそうです。 そして自分も死んでしまうかもしれないと思っていました。 そして、いま死んだら自分は天国に行けない、と思ったそうです。

 確かに聖書には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル書 9章27節)とあります。 死んだら終わりなのではなく、人は必ずそれまでの自分の行いに応じて神様から報いを受けなければならないのです(2コリント 5章10節参照)。 人は死んでから神様のさばきを受けなければならない。 それによって天国に行けるかどうかが決まるのです。

 この女の子は、自分の心の中に罪があると分っていました。 そしてこの罪をそのままにして今死んだら天国に行くことができない、ということも知っていたのです。 この女の子はどうしたでしょうか。

 女の子はイエス様を信じる決心をしました。  ヨハネ14章6節でイエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。 このイエス様を信じる決心をしたのです。 

 この女の子は、天国に行くためにはイエス様を自分の救い主であると信じればいいのだ、ということを知っていたのです。 この女の子は小さい頃からお母さんに連れられて教会に来ていました。 ですから死ぬことへの不安や恐れを抱いた時、教会で聞いていた救い主であるイエス様のことを思い出すことができたのです。 

 あなたも教会に行き、この救い主であるイエス様と出会ってください。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.15放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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■人の力を恐れるな

2010年09月14日 | Weblog
2010/9/14放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 今日はイエス・キリストが語られたことばを新約聖書からまず紹介しましょう。 マタイの福音書10章28節 
 
 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 どうも私たちは心から敬うべき方を恐れずに、ま、人の顔色や人の力を恐れてしまうということがありますよね。 本当に恐れ敬うべき存在は私たちの人生の永遠さえも握っておられる聖書の神様ですよ、とイエス・キリストは告げています。 

 新約聖書の中の使徒の働きの12章という所に、ヘロデという王様が出てきます。 彼は民衆に向かって演説をしました。 王服を着、太陽はまばゆく彼を照らし出しました。 すると民衆は口々に、「これは神の声だ。 人間の声ではない!」(使徒 12章22節)と叫び続けたんです。 ヘロデ王は有頂天になり、まあきっと心の中で、「神様になるのも悪くないなあ」などと思いですねえ、調子に乗って演説を続けたのでしょう。 すると一匹の虫が彼の足元から這い上がってきて身体に噛みついたんです。 聖書はそのときのことをこう記しています。 

 「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」(使徒 12章23節)

 このようにヘロデの最後を記しているんですね。 「神の声だ」ともてはやされ、有頂天になっていたヘロデ。 彼には大きな力がありました。 しかしその力は小さな小さな虫に噛まれて終わりを告げてしまう弱いものなんです。

 私たちは人の力を恐れます。 しかし人は決して神様になることはできませんよね。 神のように振舞う見せ掛けの力は最も滑稽な姿です。 人が心からの畏敬の念を持って敬い、恐れ、礼拝する方は一体誰でしょう。 それはあなたの永遠を握っている方である天地を創造された神様ご自身なんです。

 イエス・キリストは「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れるな」と言われました。 人の力には限界があります。 謙遜さが失われた人の力は人生を決して豊かにするものではありません。 

 今日私たちは自分の姿を点検しましょう。 人とは、明日のことも分からない弱い存在なんです。 神様の支えなしに一秒たりとも生きていくことなどできない存在なんですね。 だから人として最も大切なのは、自分の力を誇示するのではなく、あなたを生かしてくださっている神様の前にへりくだって、感謝と讃美を捧げていく姿こそふさわしいのです。 

 (PBA制作「世の光」2010.9.14放送でのお話しより)

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■永遠の目標に向けて

2010年09月13日 | Weblog
2010/9/13放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 今朝はですねえ、三人のレンガ職人ということについてお話ししたいと思うんですけれども、エジプトに三人のレンガ職人がいたそうです。 レンガを砂漠の中で毎日積むことが仕事でした。

 砂漠を旅行している人が最初の職人の所を通りかかって、職人に話しかけたそうですね。 「何をしてるんですか?」 するとその職人は不機嫌な表情で、「見れば分かるでしょう、嫌になっちゃうよ、本当にこんな仕事。 毎日毎日暑い中でレンガを積む訳なんだから。」と嘆いていたんだそうです。 「そうですかあ、それは大変ですよねえ。ですけどまあがんばってください。」というふうにまあ言って旅人はそこを去っていった。

 で、しばらく歩くと旅人は二人めのレンガ職人に出会って、「何をしてるんですか?」と話しかけました。 「ああ、レンガを積んで、この国の王様の住む宮殿を作っているんだよ。 王様はいいよなあ、こんな豪華な家に住んでさあ。 こっちはほんとに嫌になっちゃうよ。 うらやましくってもう。」と言って不満げにまあ働いていた。

 またしばらく歩いていると三人目のレンガ職人と出会って、「何をしてるんですか?」と語りかけると、「私はねえ、未来に残るようなエジプトの宮殿を建てているんだよ。 こんな素晴らしい仕事をすることができて、私は幸せだよ。 将来自分の息子にも自慢できる仕事をしようと思ってるんだよ。」とまあ答えたって言うんですね。

 で、この三人のレンガ職人の違いは何でしょうねえ。 みな仕事の中身は同じです。 暑い太陽のもとでレンガを毎日毎日積んでいくという単純作業ですね。 しかしこの三人の仕事に対しての気持ちの持ち方が違ってる訳ですねえ。 嫌だ嫌だという気持ちで仕事に取り組むか、ありがたいという気持ちで取り組むかによって仕事の出来は
違ってくるでしょうねえ。

 まあそれぞれ似たり寄ったりのような、また同じような生活の繰り返しだなあ、と思うようなことが私たちの日常であるかもしれないんですけれど、でも一体ことは何のためにしている仕事なのか、自分の人生は何のためにあるのか、誰のためにこれをしているのか、そして一体これは永遠という視点で見るときに、どういいう意味と価値を持っているのか、ということ。 そのことがはっきりしているとですね、同じように見えていても違ってくるんじゃないのかなあというふうに思うんですね。

 イエス様は「永遠に至る糧のために働きなさい」(ヨハネ 6章27節参照)って言われましたけれども、私たちはそういう永遠という視野を失わずにきちんと働いていきたい、そう思いますねえ。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.13放送でのお話しより)


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■うわさよりはるかにまさって

2010年09月11日 | Weblog
2010/9/11放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 百聞は一見にしかず、と言います。 実際に会ってみると聞いていた噂よりもずうっと優れた人がいます。 旧約聖書に登場するソロモン王もそんな一人でした。 

 ある時、シェバの女王がソロモン王の名声を伝え聞きました。 そのあまりの評判の良さに彼女は実際にソロモン王に会おうとして旅に出たと言います。 そして彼に会った時、誰も答えることが出来ないような難問をもって試してみました。 

 するとソロモン王に分からなかったことは何一つなかった、彼女に解き明かせなかったことは何一つなかった、と言います。 そこでシェバの女王は驚いてこう言いました。 旧約聖書列王記第一 10章6節からのことばです。 

 「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」(列王記第一 10章6節、7節)

 素晴らしい噂よりもはるかに優っている。 実際に会った時にそんな評価を受ける人は何と素晴らしいことでしょうか。 実は聖書は、聖書の神様こそそのようなお方だと教えています。 この番組では神様の素晴らしさをお伝えすべく、思いを尽くし、ことばを尽くしてあなたにメッセージをお伝えしています。 ですが、それはある意味で神様についての噂をお話ししているようなものだとも言えます。 百聞は一見にしかず。 あなたが本当に神様と出会うなら、あなたもシェバの女王のように驚いてこう言われるでしょう。 「神様、あなたの知恵と力、あなたの愛と恵みは噂よりもはめかに優っていました。」 あのシェバの女王は噂を聞いたとき、それを確かめるために旅に出ました。 あなたも神様と実際に出会うために一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。 聖書のことばを実際に読んでみる。 聖書通信講座に申し込んでみる。 近くにあるキリスト教会に足を運んでみる。 あなたも驚くほどに素晴らしい神様との出会いを体験してください

       (PBA制作「世の光」2010.9.11放送でのお話しより )

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■笑顔の輝き

2010年09月10日 | Weblog
2010/9/10放送


 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 先日、青森県を訪れました。 キリスト教テレビ番組のライフ・ラインの集いがそこであり、この世の光やライフ・ラインの視聴者の方と直接お会いできたのは本当に感謝でした。 

 青森の津軽半島の海岸沿いに鯵ヶ沢(あじがさわ)という所があります。 ある方にとっては個性的な表情で有名な『わさお』君(http://www.shufunotomo.co.jp/acx/wasao/)という秋田犬のいる海岸と言ったほうが分かりやすいでしょうか。 そこにある教会で長くキリストの愛を伝えているジョン・エリオット宣教師ご一家とお会いできました。

 三十数年前から日本に来られ、津軽弁を話される先生ご夫妻の笑顔は本当に素敵でした。 日本を愛し、多くの犠牲を払って私たち日本人のために神の愛を届けてくださっている先生がたは動物も大好きです。 教会の庭には両目が不自由な犬も、捨てられていたという雄鶏も四匹の猫たちも大切に育てられていました。 神様を心から愛し、弱さを持つ人々も痛みを抱える動物も大切にする家庭には喜びが溢れていたのです。  

 私たちは自分の顔を鏡で見るとき、輝きの表情とは程遠い現実に向き合います。 外側を飾るのではなく、内側から外に輝き出すような人格の輝き・笑顔の輝きはどのようにして生まれるのでしょうか。 

 旧約聖書の詩篇34篇4節、5節にはこのようなことばがあります。 

 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。

 主とは聖書が語る神様です。 神様に心を向け、どんな時にも信頼し、信仰を持ってこの神様を仰ぎ見るとき、その人は輝くというのです。 エリオット先生だけではなく多くの宣教師やクリスチャンの輝きに励まされ慰められている方は少なくないでしょう。 どんな人も神様に心を向け信仰を持って心から仰ぎ見るとき、内側から輝く、と聖書は語っています。 それは神様の愛に基づく輝きです。

 あなたも愛の輝きを自分のものとしませんか? 神様の愛を受け取ること、そしてその愛に生かされることにあなたの輝きの秘訣があるのです。 

   (PBA制作「世の光」2010.9.10放送でのお話しより)

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■神は憐れみ深い

2010年09月09日 | Weblog
2010/9/9放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「神は憐れみ深い」です。 それではエペソ人への手紙2章4節から読んでみましょう。

 「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし」(てくださいました。) (エペソ人への手紙2章4節、5節)

 神は私たちを愛してくださっている。 それはとても大きくあわれみ深い愛だという訳ですね。 あわれみというのは自発的にあらわされるもので、神は私たちに何の義務も感じることもなく気前よく大きな愛を示されます。

 では一体それはどのようにあらわされたのでしょうか。 二つのことがあります。 

 第一に、私たちは神を認めず、神をあがめることもなく日々生きているものです。 しかし聖書の神はそんな私たちに怒りをぶちまけ滅ぼそうとするのではなくて、むしろイエス・キリストにあってその罪を赦し、御自分に近付け、祝福してくださるお方です。 人間社会の中では自分を認めない人、自分に逆らう人を愛するなんてことはまずあり得ません。 しかし神様はそうではないのです。 そこに神の懐の深さ、神の愛の大きさがあるのですねえ。 ですから誰でも神の祝福を求めて神に立ち帰ることができるのです。 

 そして第二に、神は御自身に立ち帰って神と共に歩もうとする者に対して、更に様々に配慮し、その愛の大きさ
を示してくださるお方です。 

 パウロはローマ人への手紙の中で、こうも語っています。 
 「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8章32節)

 あなたは自分の人生が八方塞がりだと思ったことはありませんか? 人によって感じ方や表現の仕方は様々でしょうが、何の助けもないと思うことはあるでしょう。 しかしそんな私たちに神のあわれみがあることを忘れてはいけません。 人が見捨てるような状況であっても、神様は別です。 神様は大きな愛のゆえにあなたを子として扱ってくださるのです。

 神様を信じて呼び求めてみませんか?

  ( PBA制作「世の光」2010.9.9放送でのお話より )

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■私は、こう祈ります

2010年09月08日 | Weblog
2010/9/8放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 羽鳥頼和です。 

 昔々、中国の廬山(ろざん)という山に慧遠(えおん)という人がいました。 ある日、彼の所に一人の将軍がやってきて「これから敵の国と戦うので戦いに勝てるように祈って欲しい」と慧遠に頼みました。 慧遠は自分の弟子たちを集め、盛大に祈祷をしました。 祈祷が終わり満足している将軍に慧遠は言いました。 「私はあなたの勝利を祈ったけれど、同時に相手の将軍のためにも祈っておいた。 あなたはそのことを忘れないように。」

 慧遠は将軍に何を教えようとしたのでしょう。 将軍の自分勝手な祈りを戒め、油断しないように、と戒めたのだと思います。

 さて、クリスチャンである私の祈りも、この将軍のような自分勝手な願いであることが多いと思うのです。 ですから私は願い事を祈る時、イエス様が教えてくださった主の祈りの「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」(マタイ 6章10節)ということばを思いながら祈ります。 実際には、全部ありのまま祈ったあとで、「神様、今私の祈りを聞いてくださってありがとうございます。 どうぞ神様のみこころが行われますように。」と祈ります。

 「祈りを聞いてくださってありがとうございます。」と祈る時、神様が身を傾けて私の祈りを聞いてくださっていることを思いながら、感謝して祈るんです。 神様のみこころが行われるとき、それは私の益となることを信じて祈ります。

 なぜなら、ローマ人への手紙8章28節に、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とあるからです。

 神様を信じ、信頼する人に神様は必ず良いことをしてくださいます。 その時はそうは思えないことでも、将来必ず益となるのです。 神様に祈るとき、神様はその祈りを必ず聞いてくださいます。 そのことを感謝しましょう。 そして神様がしてくださることは必ず自分にとって良いことであると信じて、神様に期待しましょう。 

 ぜひあなたも、あなたの祈りを聞いてくださる神様に教会で出会っていただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2010.9.8放送でのお話より )

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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