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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■メメント・モリ

2010年09月29日 | Weblog
2010/9/29放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 

 「メメント・モリ memento mori 」 このことばはラテン語で「自分が必ず死ぬことを覚えなさい」という意味のことばです。

 聖書にも似たような意味のことばがあります。 旧約聖書の伝道者の書7章2節に、「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」 つまり、葬儀に行けば、人は必ず死について考える。 メメント・モリ、自分が死ぬことを心に留めなさい、というのです。

 死ぬことを心に留めることは大切です。 生きることを喜び楽しむことも素晴しいことですが、死はすべての人に必ず来るのです。 この死の問題を解決しなければ、どんなに良い人生を送っても意味がありません。 ローマ人への手紙には、すべての人がまことの神様のことを覚えず従わないという罪を犯し、人はその罪によって必ず死ななければならないことを教えています。 ですから、死の問題は罪の問題でもあるのです。 

 それでは「メメント・モリ」と自分が必ず死ぬことを覚えればこの罪と死との問題は解決できるでしょうか。 残念ながらそれだけでは解決になりません。 ですから伝道者の書では12章の1節で、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」と教えています。 聖書は、自分が必ず死ぬことを覚えなさい、そして自分が死んでしまう前に罪を赦し新しい命を与えることができる創造者である神様を覚えなさい、と教えているのです。

 イエス様は、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節)と言われました。 自分の死を受けとめている人にとって「死んでも生きるのです」というイエス様のこのことばは本当に救いだと思います。 

 あなたは自分が死ぬことを恐れてはいませんか? そしてなるべく死ということを考えないようにしているのではないでしょうか。 でも勇気を出して自分の死に向き合ってほしいと思います。 そして覚えてください、罪を赦し新しい命を与えることができる神様のことを。 

 お近くの教会にいらっしゃって、新しい命を与える神様に出会ってください。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.29放送でのお話より )

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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