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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人の評価を恐れずに

2010年09月07日 | Weblog
2010/9/7放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 今日はイエス・キリストが語られたことばを新約聖書から紹介いたしましょう。 マタイの福音書10章24節から26節。 

 「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。だから、彼らを恐れてはいけません。・・・」

 まあ私たちはいろいろなことを気にしますが、この人の評価が気にならないという人は殆どいませんよね。 人の評価に一喜一憂しながら、時には必要以上に恐れてしまうということがあります。 もちろんその評価によって自分を顧みるということは大切なのですが、でも時々、人の評価はあてにならないことも多いんです。 

 イエス様は、まあそのサンプルのようにですねえ、御自分がどのように評価されていたかを話されました。 当時の宗教指導者たちは、イエスが救い主だなんて冗談じゃない、あいつはもうベルゼブルだ、とこう言っていたというんですねえ。 ベルゼブルというのは悪魔の親分というような意味で使われることばなんです。 また蠅の王様・蠅の親分という意味もあるそうです。 まあ蠅の親分ですからブンブンうるさい訳ですねえ。 イエス・キリストは当時の宗教指導者たちに、まるで蠅の親分のようにうるさくてしようがない存在だったのでしょう。 

 ま、当時の指導者たちがイエス様に対して蠅の親分という評価を下すのですから驚きですよね。 まあ人の評価はあてにならないということです。 

 イエス様は決して人の評価を無視しなさいと言われた訳ではありません。 そうではなくて、神様があなたを見ている眼差しと比べて人の評価は時々間違っていることがあるので、そういう評価を恐れてはいけない、とおっしゃっているんです。 

 旧約聖書のイザヤ書という中には、神様が語られたことばで、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・」(イザヤ書 43章4節)と書かれています。 あなたをそのように見ていてくださるというんですね。 ですから人々が、あなたは価値のない人間だと言っても、その価値がないという評価を恐れるなとイエス様は語るんです。

 私たちは神様の目から見たらみな罪人です。 滅ぼされても文句が言えない存在です。 しかしそんな一人ひとりのために御自分のひとり子であるイエス様を遣わし、私たちの罪の身代わりに十字架につけてくださるほど命を賭けるほどの愛を注いでくださいました。

 あなたは神様に愛されている一人です。 この眼差しを受け取りながら歩んでいきましょう。 
 (PBA制作「世の光」2010.9.7放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■ 可能性に挑戦する心

2010年09月06日 | Weblog
2010/9/6放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 あのー、動物でですねえ、花と口が長く突き出ているバクというのがいますよねえ。 なぜか知りませんけど夢を食べるって、こう言われているんですけれども。 まあ夢を食べるのはバクだけじゃなくって、夢を食べて生きている、そして素晴らしい成果を見せてくれている人たちもいる訳で。 あのうオリンピックのフィギアスケートの銅メダルの高橋大輔選手が卒業した中学校の校庭の石碑に、「夢を持つ限り、努力する限り、夢は遠くない」と刻まれているそうなんですけれども、まあ彼はその通り夢を食べながら夢を現実のものにしていったというふうに言えるんだろうと思いますよねえ。 

 あのう、前に私もテレビで見たんですけれども、スキーヤーの三浦雄一郎さん、75歳でエベレスト登頂に成功したっていうんですねえ。 そしてその時に、夢の大切さを言っておられましたですね。 人は夢を見ることだ、夢を諦めないことだ、っていうふうにですねえ。 素晴らしいな(と思います)。 私も三浦雄一郎さんと年齢的にはあまり違わない訳ですけれども、すごいなあとこう思いますねえ。 

 聖書の中にもですねえ、神様の霊が臨んでいくならば若者は幻を見て年寄りは夢を見る、っていうふうにこう言われているんですねえ(使徒 2:17参照)。 ですから、本当にこう生き生きと生きるっていう中には、その夢・幻ってことが必要なんだと、そう思いますよね。

 ある意味においてその夢っていうのは何て言いましょうかねえ、可能性への挑戦って言い方もできるんじゃないかと思うんですねえ。 ですから可能性に挑戦する心と努力を失わない、持ち続けていくということ、それが必要なことだろうと思いますよねえ。 だから年齢が行ったから年老いたというんではないというふうによく言われて、要するにその人の中にその可能性に対する挑戦する心と努力を失っていくと、もう老いてしまうというふうなことで、若さっていうのはそのようないつでも可能性に対して挑戦する心と努力とを持っていることだというふうに言えるんだろうと思いますね。

 ですから聖書の中にも箴言(29章18節)という中に「幻がなければ民は欲しいままに振舞う」とかですねえ、新共同訳聖書では「幻がなければ民は堕落する。」 ある訳では「滅びる」(欽定英訳聖書)っていうふうに言ってるんですねえ。 やっぱり本当に挑戦するそのような意欲と努力がなければ、その人自身が駄目になっていってしまう。 そういう意味でパウロが言うように目標に向かって前進する心をいつも失いたくないと、そう思いますね。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.6放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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■主の憐れみによる

2010年09月04日 | Weblog
2010/9/4放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 慣れ親しんだ生き方を改めるということは簡単なことではありません。 特に自分の知恵や力だけにしがみついているなら、なおさらです。

 旧約聖書創世記に登場するアブラハムにはロトという甥がいました。 ロトは当時ソドムの町に住んでいました。 このソドムの人々は神様に対して非常に罪深い生き方をしていた、と聖書は言います。 

 さてそのソドムに神様から遣わされた二人の御使いがやってきました。 御使いはロトに、「ソドムの町は滅ぼされようとしている。すぐにソドムの町を離れなさい。」と警告を与えました。

 彼はこの警告を信じました。 ですが、なかなか聞き従おうとはしなかった、と聖書は言います。 信じてはいるものの聞き従って町を離れるところまでは至らない。 慣れ親しんだ生き方と決別することの難しさを思わされます。

 しかしそんなロトに対して、神様からの深いあわれみがあった、と聖書は言います。 創世記19章16節のことばです。 

 「しかし彼はためらっていた。すると、その人たち[御使いたち]は彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。----主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。

 自分では町の外に出ることができなかった。 自分では慣れ親しんだ生き方と決別することができなかった。 そんなロトに対して神様は一方的なあわれみを与えてくださった、そうして彼を連れ出してくださった、と聖書は言います。 

 私たちも自分の力で自分の生き方を改めるということはできないのではないでしょうか。 少しぐらいの後悔や反省はできたとしても、いつまでも同じ町の中に、いつまでも同じ生き方に留まってしまうのが私たちだと思うのです。 だからこそ神様のことばを本気で信じ、神様の助けを熱心に求めなさい、と聖書は教えています。 自分の知恵や力にしがみつくことはやめて、神様のことばを信じ、神様の助けに身を委ねる。 そのときにこそ私たちは過去の生き方をあとにして希望に満ちた新しい生き方を始めることができるのだ、と聖書は教えています。 

 あなたもぜひ神様のことばを信じて歩んでみてはいかがでしょうか。

       (PBA制作「世の光」2010.9.4放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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■ダメな人間をこそ

2010年09月03日 | Weblog
2010/9/3放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日9月3日はドラえもんの誕生日なのだそうです。 日本マンガの代表ともされる『ドラえもん』ですが、作者の藤子・F・不二雄さん、本名藤本 弘(ひろし)さんによれば新連載の構想に困り、締切が迫る中で大好きなドラ猫の蚤取りを始め、ちょうどお嬢さんの起き上がりこぼしに躓いた時、そのドラ猫と起き上がりこぼしからドラえもんが誕生したのだそうです。 行き詰まりと躓きからドラえもんは生まれたのですねえ。 

 主人公のび太については、作者が自分の子ども時代をモデルにしたと語っています。 おとなしくて真面目で体が弱かった藤本さんは小学生時代、過酷ないじめに遭いました。 似顔絵が評価されるまでそのいじめはずうっと続いたそうです。 しかもこのドラえもんも子守用ロボットのネジが一本落ちた不良品なのです。 どんなに弱く小さな存在でも支えあって生きるんだ、そんなメッセージがこの作品の根底にあるのですねえ。 だから弱さや痛みを抱える多くの人々に夢や希望を届けているのかもしれませんね。 

 私たちも自分の欠点や弱さが生かされることがあります。 そこから夢や希望が生み出されるのです。 そして聖書が語る神様は人の弱さを豊かに生かすことができます。 新約聖書のコリント人への第一の手紙12章22節、24節には、このように書いてあります。 
 
 「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
・・・しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。


 神様は弱さや欠点を抱えていたり劣っているとされる人々をあらゆる人との関わりの中で豊かに生かしてくださることができます。 それはあなたの弱さも欠点もすべてを御存知の神様があなたを愛し、慈しみ、そのままのあなたに豊かな希望を与えてくださるからです。 そしてそのあなたを通して周りの方々に、愛と希望を届けさせてくださるのです。 あなたの弱さをも慈しみ生かしてくださるこの神様に希望を置く歩み、あなたもその希望の歩みを歩み出しませんか? 神様はあなたを心から愛しておられます。 

 それではまた聴いてください。
 
   (PBA制作「世の光」2010.9.3放送でのお話しより)

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■神は全能である

2010年09月02日 | Weblog
2010/9/2放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「神は全能である」です。 それではエレミヤ書32章17節から読んでみましょう。
  「
ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。


 「あなたの神は小さすぎる」と、ある神学者が言いました。 これは一種の風刺ですね。 つまり、多くの人が自分の頭で神様や神様の力というものを小さくちいさく考えています。 本来神様というのは人間の頭の枠には納まりきらないほどスケールが大きいはずなのに、神様はこんなものだと、勝手にちっぽけに捉えてしまっている。 そんな人間をユーモラスに皮肉っているのですねえ。 確かに神の力など何の役にも立たないと思えることはあるかもしれません。

 しかし聖書は伝えています。 神様というのは天におられ、その望む所をことごとく行なわれる方である(詩篇115篇3節参照、135篇6節参照)と。 そして神にできないことは何もない、と。

 いや、できないこともあるのではないか、と思う方もいるでしょう。 確かに神にできないことがあるのも事実です。 神は罪を犯すことはできません。 偽ることもできません(ヘブル 6:18参照)。 前に語ったことを翻すこともできません(2テモテ 2章13節参照)。 そういう意味で、神にもできないことはあります。

 しかし神が望みながら実現できなかったということはありませんし、何か事を始められてから途中で挫けて投げ出してしまったということもないのです。 神は全能のお方ですねえ。 

 聖書にはたくさんの、神の全能の力を学んだ人たちのエピソードが出てきます。 神には不可能がないことを学んだ人たちのエピソードで溢れています。 

 その最も際立ったエピソードは、十字架で命を捧げたイエスの復活です。 死の力を打ち破ってよみがえられたイエスの物語ですね。

 イエスをよみがえらせた神の力は私たちの内にも働くのです。 聖書はそのことを約束しています。 それを深く考えていただきたいのです。 

 あなたは偉大なる神の力を信じますか? もしそうならば、望み得ない所に望みを抱くことができます。 あるいは神に頼ってもしようがない、と望みを見出せないままでいますか? 

 神にとって不可能なことはないのです。 信じましょう。


  ( PBA制作「世の光」2010.9.2放送でのお話より )

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■思い煩いから平安へ

2010年09月01日 | Weblog
2010/9/1 放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 羽鳥頼和です。 

 人生に悩みは付き物です。 悩み事があると私たちは思い煩います。 思い煩いとは、今の苦しみ・将来への不安などを、ああでもない、こうでもない、と心が定まらない状態を言います。 そしてその思い煩いに心が支配されると、何も手につかなくなってしまったり、夜なかなか眠れなくなってしまいます。 このように誰もが多かれ少なかれ悩みを抱えて思い煩っているのではないでしょうか。 

 (新約聖書)ピリピ人への手紙4章6節には、
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」とあります。 

 これは悩み事があり思い煩うようなことが起こったときには神様に祈り願いなさい、ということを教えているのです。

 心の中にあることをそのまま素直に神様に申し上げるとどうなるでしょうか。 続く7節では、「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」とあります。 

 神様に祈り願うとき、神様は本当の平安を与えてくださるのです。 この平安とは、心から神様を信頼し、心が安定している状態を意味しています。 思い煩う心は不安定で、ああでもない、こうでもない、と分裂した状態です。 それに対して、神に祈ることによって与えられる神の平安は、心を神様に向け、心を一つにまとめて、落ち着いた状態にしてくれます。 

 このように聖書は悩み事それ自体の解決方法を教えてはくれませんが、あらゆる思い煩いから解放される方法を教えてくれています。 心に神の平安があるなら、私たちの心と思いは守られるのです。

 人生において悩みと煩いを避けることはできません。 しかし心に神の平安が与えられるとき、思い煩いによって心が押し潰されてしまうことはありません。 悩み事を本当に解決してくれる神様の救いを待ち望むことができるのです。 神の平安によって私たちの心は守られ、支えられるのです。

 神様を信頼し、神様に何でも心にあることを祈ってください。 神様の平安が与えられますように。 

  ( PBA制作「世の光」2010.9.1放送でのお話より )

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