2010/9/7放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
今日はイエス・キリストが語られたことばを新約聖書から紹介いたしましょう。 マタイの福音書10章24節から26節。
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。だから、彼らを恐れてはいけません。・・・」
まあ私たちはいろいろなことを気にしますが、この人の評価が気にならないという人は殆どいませんよね。 人の評価に一喜一憂しながら、時には必要以上に恐れてしまうということがあります。 もちろんその評価によって自分を顧みるということは大切なのですが、でも時々、人の評価はあてにならないことも多いんです。
イエス様は、まあそのサンプルのようにですねえ、御自分がどのように評価されていたかを話されました。 当時の宗教指導者たちは、イエスが救い主だなんて冗談じゃない、あいつはもうベルゼブルだ、とこう言っていたというんですねえ。 ベルゼブルというのは悪魔の親分というような意味で使われることばなんです。 また蠅の王様・蠅の親分という意味もあるそうです。 まあ蠅の親分ですからブンブンうるさい訳ですねえ。 イエス・キリストは当時の宗教指導者たちに、まるで蠅の親分のようにうるさくてしようがない存在だったのでしょう。
ま、当時の指導者たちがイエス様に対して蠅の親分という評価を下すのですから驚きですよね。 まあ人の評価はあてにならないということです。
イエス様は決して人の評価を無視しなさいと言われた訳ではありません。 そうではなくて、神様があなたを見ている眼差しと比べて人の評価は時々間違っていることがあるので、そういう評価を恐れてはいけない、とおっしゃっているんです。
旧約聖書のイザヤ書という中には、神様が語られたことばで、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・」(イザヤ書 43章4節)と書かれています。 あなたをそのように見ていてくださるというんですね。 ですから人々が、あなたは価値のない人間だと言っても、その価値がないという評価を恐れるなとイエス様は語るんです。
私たちは神様の目から見たらみな罪人です。 滅ぼされても文句が言えない存在です。 しかしそんな一人ひとりのために御自分のひとり子であるイエス様を遣わし、私たちの罪の身代わりに十字架につけてくださるほど命を賭けるほどの愛を注いでくださいました。
あなたは神様に愛されている一人です。 この眼差しを受け取りながら歩んでいきましょう。
(PBA制作「世の光」2010.9.7放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
今日はイエス・キリストが語られたことばを新約聖書から紹介いたしましょう。 マタイの福音書10章24節から26節。
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。だから、彼らを恐れてはいけません。・・・」
まあ私たちはいろいろなことを気にしますが、この人の評価が気にならないという人は殆どいませんよね。 人の評価に一喜一憂しながら、時には必要以上に恐れてしまうということがあります。 もちろんその評価によって自分を顧みるということは大切なのですが、でも時々、人の評価はあてにならないことも多いんです。
イエス様は、まあそのサンプルのようにですねえ、御自分がどのように評価されていたかを話されました。 当時の宗教指導者たちは、イエスが救い主だなんて冗談じゃない、あいつはもうベルゼブルだ、とこう言っていたというんですねえ。 ベルゼブルというのは悪魔の親分というような意味で使われることばなんです。 また蠅の王様・蠅の親分という意味もあるそうです。 まあ蠅の親分ですからブンブンうるさい訳ですねえ。 イエス・キリストは当時の宗教指導者たちに、まるで蠅の親分のようにうるさくてしようがない存在だったのでしょう。
ま、当時の指導者たちがイエス様に対して蠅の親分という評価を下すのですから驚きですよね。 まあ人の評価はあてにならないということです。
イエス様は決して人の評価を無視しなさいと言われた訳ではありません。 そうではなくて、神様があなたを見ている眼差しと比べて人の評価は時々間違っていることがあるので、そういう評価を恐れてはいけない、とおっしゃっているんです。
旧約聖書のイザヤ書という中には、神様が語られたことばで、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・」(イザヤ書 43章4節)と書かれています。 あなたをそのように見ていてくださるというんですね。 ですから人々が、あなたは価値のない人間だと言っても、その価値がないという評価を恐れるなとイエス様は語るんです。
私たちは神様の目から見たらみな罪人です。 滅ぼされても文句が言えない存在です。 しかしそんな一人ひとりのために御自分のひとり子であるイエス様を遣わし、私たちの罪の身代わりに十字架につけてくださるほど命を賭けるほどの愛を注いでくださいました。
あなたは神様に愛されている一人です。 この眼差しを受け取りながら歩んでいきましょう。
(PBA制作「世の光」2010.9.7放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。