2022/7/1放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。ヘブル人への手紙11章1節
「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」
こんな話を聞いたことがあります。ある植物学者が、数人のシェルパを連れて植物を採取していました。すると断崖絶壁にとても貴重な植物があったのです。彼はなんとかその植物をサンプルとして採取したかったのです。
しかしどのシェルパも、そんな植物のために危険を冒す気にはなりませんでした。すると一人の子どもが、「ねえ、僕が取ってきてあげるよ」と言いだしたのです。「駄目だよ、まだ子どもなんだから、そんな危険なことはさせられないよ」と学者は断りました。
しかしその子どもは「大丈夫だよ」と言い続けるのです。そしてこう言いました。「おじちゃん、その植物を取ってきてあげるけど、一つだけ条件があるんだ」「なんだい?」「うん、僕の命綱はお父さん以外の人に持たせないでね。お父さんが持っていれば安心さ。」 そう言ったというのです。
さて、あなたの人生の命綱を一体だれが握っていますか? それによって安心の度合いはだいぶ変わってきますねえ。
私たちは信仰ということばを聞くと、どうも何か宗教的な特殊なことばのように考えてしまいます。しかし信仰とは信頼と同じ意味です。私たちはいろいろな情報を信じ、行動しています。つまり、生きることは信じることであり、信じることは生きることなのです。ですから、もし私たちの生活の中で信じることが失われていったとき、生きることはとても難しくなっていきます。
たとえば朝起きて出された朝食を疑ったらどうでしょう。通勤の駅のホームで電車の時刻を疑ったらどうでしょう。そんなことをしていたら、いつまでたっても会社にたどりつきませんね。
聖書が教える信仰とは思い込みの世界ではありません。聖書のことばを受け入れて、そのことばに委ね、実際に生きていくことなのです。
神様はあなたを愛してくださっている、と聖書では語っています。ですから私たちはそれを聞いて、「ああ、私は愛されている」という安心をもって生きていくことができるのだなということを、うなずきながら進んでいくことができるのです。
そしてイエス・キリストは救い主なる方であり、私たちの人生を導く方です。ですから、この方が人生の命綱を握ってくださるなら最も安心ではありませんか?
( PBA制作「世の光」 2022.7.1放送でのお話しより )
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