2021.11.4放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
4章には悪霊につかれた人が出てきます。悪霊と訳されているダイモニアンということばは、人間を宿命づけ、縛りつけ、人生を諦めさせようとする力です。イエス様はこの悪霊に「黙れ」と言われました。すると悪霊に取り憑かれた人の体が投げ倒されるような、そんな出来事が起こりました。
しかし、この人は何の害も受けなかったとあります。傷つかなかったという意味です。イエス様は悪霊との戦いで私たちを傷つかないように守ってくださる。そんな神様の守りがあるのです。イエス様は神の持つ権威によって悪霊を追い出し、悪霊に憑かれた人を自由にされました。
そのときに投げ倒されるような経験を私たちもまたするかもしれません。自分の価値観を壊されるような経験です。あるいはそのようなことばで、自分で自分を支配しようとしていた自分のダイモニアンが砕かれる経験になるはずです。悔い改めなければいけない痛みもそこにあるかもしれません。しかし、そこで私たちは投げ飛ばされ砕かれても、傷つかないようにイエス様は守ってくださるのです。
もしかすると「クリスチャンはこうあるべきだ」という縛りつけてくることばもあるかもしれません。聖書が果たしてそんなことを言っているのか、聖書のことばが紹介されながらも、それは自由をもたらすことばではなく縛りつけることばであることもあるからです。むしろそのようなことばは自由をもたらすというよりも、「あんなふうには生きられない。あんなふうには自分はなれない。」と、さらに神様から引き離していく呪いのことばになっていることもあります。
しかし、長年染みついてしまったそのような「あるべき像」が壊されていくのには、私たちの人生に大きな砕かれる痛みも生まれることとなるでしょう。それを受けとめようとするとき、投げ飛ばされるような気持ちになるかもしれません。
しかしそこに神の愛があるのです。あなたをクリスチャンにして、もっと自由に生きていってほしいと願われる神の愛です。
イエス様のことばは今日、あなたを自由へ解き放つ愛のことばをかけられます。クリスチャンもまたイエス様のことばによって、私たちの中のダイモニアンのことばが追い出されていくことが必要になってきます。私たちは、このイエス様のことばを聴き続けていかなければならないのです。「こうあらねばならない」と縛りつけるダイモニアンに、「黙れ」と、「出て行け」とイエス様に言ってもらい続けていくこと。それが私たちの聖書を読む生活です。
( PBA制作「世の光」2021.11.4放送でのお話しより )
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