2021.11.1放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、ルカ4章では、カペナウムという場所でのイエス様の宣教の働きが記されています。
カペナウムはイエス様が非常に愛された町であり、イエス様の宣教の拠点の一つでもありました。カペナウムの人々はイエス様の説教に驚き、権威があったと反応し、語られたイエス様の手応えもあったでしょう。会堂から帰る人々が「権威があったねえ」と分かち合っている。・・・イエス様も、とても語りがいがあったのではないかと思います。
私もラジオ「世の光」の集まりで全国各地での説教の奉仕をさせていただきます。各地に喜んで出かけて行きます。マイクに向かってお話しするのとは違って、お顔を見ながら語ることができる。聖書のことばを喜んでおられる姿に出会えます。全国各地にカペナウムの会堂があることを感謝しています。
さて、カペナウム会堂でも大変なことが起こりました。突如、会堂に汚(けが)れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいたのです。「ああ、ナザレ人のイエス。一体、私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。」
悪霊にとらわれている人が出てきます。少し不気味で、少し怖いような気持ちもする箇所です。悪霊とは、神様に逆らう力です。神の御心には従わない力があります。神様の支配に抵抗する力です。この世の中には、神様を礼拝することから遠ざけようとする力があるのです。
悪霊は言いました。「一体、何をしようというのか。」このことばは、「あなたと私の間に何があるというのか。関係ないではないか。」という意味です。「何の関係もないではないか。」 イエス様の存在はあまりにも聖く、権威あるその力はかえって悪霊の存在を引き出すのです。悪霊の力にとらわれている者を刺激するのです。
では、いったい何が呼び覚まされたんでしょうか。悪霊とはダイモニアンということばです。その意味は、「運命を分ける力」という意味のことば、人の力を超えた「宿命」とも言える自分の人生を諦めざるを得ないと思わせる力そのもののことです。
私たちも自分の人生をあきらめたくなってくるときがあります。そこで、イエス様のことばがどのような力をもって私たちの事を助けてくださるのか、今週はここからご一緒に聖書のことばを学んでいきましょう。
( PBA制作「世の光」2021.11.1放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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