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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■愛と決断の人 ~細川ガラシャ~  / 岩井基雄

2014年11月28日 | Weblog
2014/11/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は「愛と決断の人 細川ガラシャ」と題してお話をします。

 細川ガラシャは名前を珠(玉)(たま)と言い、永禄6年(1563年)、明智光秀の娘として生まれ、16才の時、織田信長の薦めで細川忠興(ただおき)に嫁ぎます。そして一時期、二年間ではありましたが幸福な新婚時代を過ごしました。

 しかし天正10年(1582年)の本能寺の変で父、明智光秀が謀反を起こし織田信長を倒した後、山崎の合戦で羽柴秀吉に破れてしまいました。逆心の娘となったガラシャも生まれたばかりのわが子から引き離され、丹後の山里に約2年間幽閉されてしまいます。しかしその苦難の生活の中にあっても、彼女は身分の分け隔てを超えた優しさと労わりの心を常に持ち続けていたそうです。

 その後、幽閉を解かれて大阪城下、玉造の細川家屋敷に住むようになってからは彼女は心の平安をキリスト教に求め、キリシタンの侍女、清原イトから洗礼を受け、細川ガラシャ、日本語では「恵み」という意味を持つガラシャと呼ばれるようになります。宣教師ルイス・フロイスが彼女のことを「日本で今だかつてこれほど理解ある婦人に、またこれほどキリスト教について深い知識を持っている人に会ったことはない。」と表現してるように、ガラシャは神の恵みに生かされ続け、学びを深めていったのです。

 しかし秀吉の死後、徳川家康と石田光成の対立が激化し、細川忠興をはじめとする大阪城下に住む家康方の大名から人質を取ることを企てた光成は、まずガラシャに人質になるよう強要しました。しかし、神の前のきよさを求める彼女はこれを毅然と軽視し、屋敷に火をかけて最後を遂げたと言われています。慶長5年(1600年)7月17日、38歳の生涯でした。

 細川ガラシャは日本の歴史に名を残す数少ない女性の一人で苦難の生活を送りながらも自己の尊厳と女性としての誇りを守り、神の前の誠実さと清さを貫く生涯を送ったのです。

 聖書のことば

 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。
 ペテロ第一の手紙 1章15節から16節

(PBA制作「世の光」2014.11.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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