2014/11/17放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
番組にこんな質問が寄せられてきました。
「聖書が教える罪というのはどういうものですか?」という内容でした。私たちは罪ということは悪いこと、犯罪というふうに考えますね。もちろんそれは罪なのですが、聖書が教えている罪とはですね、「的外れ」という意味があるんです。つまり罪とは的に正しく当てることができないずれた状態のことを指しているんですねえ。
たとえば私たちの身体にずれが生じたとするとどうなるでしょう。血圧が正常値からずれたとか血糖値がずれたとか、そのずれによって病気になってしまいます。それと同じように神様との正しい関係がずれてしまう時、人は神様から愛されていることや本来の人としての目的や道を見失って、その結果として様々な問題が生じて来るんですね。
そして罪の現実は三つのことによって知ることができると思います。一つは人間の歴史を見ることによって罪があるということが分ります。人の歴史は人がいかに罪ある存在かということを教えてくれますねえ。殺人があり、戦い、騒乱、破壊など、絶えることがありません。残念ながらそれは今でも同じです。
二番目は、人の心を見ることによって分ります。私たちの心を見たら罪が分りますね。ねたみがある、憎しみ・欲望・貪り・悪意・うらみ・高慢、すべきでないことをしてしまったり、すべきだと分かってるのにできない弱さがありますねえ。心の中を正直に見るならば、私には罪なんて一つもありませんと言える人は誰もいません。
そして三番目に、聖書のことばによって私たちに罪があるということが分るんです。聖書は、人はみな生まれながらに罪ある存在だ、とはっきりと教えています。そしてその罪の大元は、天地を創造された神様に背を向けて離れてしまっていることだと教えているんです。ですから聖書を知ることによって神様との関係がずれてしまっていることが罪の状態なんだということが分かって来るんです。
もし体のずれがあって体調を壊したら、そのずれを直すために病院に行ったりお薬を飲んだりしますね。聖書が言っている罪は神様との関係のずれな訳ですから、そのままほうっておいていいはずがありません。イエス・キリストはこうおっしゃいました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5章31節、32節 参照マタイ 9章12節、13節、 参照マルコ2章17節)
イエス・キリストこそ私たちのずれた状態を正し本当の罪の解決を与えるために来てくださったのです。
(PBA制作「世の光」2014.11.17放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
番組にこんな質問が寄せられてきました。
「聖書が教える罪というのはどういうものですか?」という内容でした。私たちは罪ということは悪いこと、犯罪というふうに考えますね。もちろんそれは罪なのですが、聖書が教えている罪とはですね、「的外れ」という意味があるんです。つまり罪とは的に正しく当てることができないずれた状態のことを指しているんですねえ。
たとえば私たちの身体にずれが生じたとするとどうなるでしょう。血圧が正常値からずれたとか血糖値がずれたとか、そのずれによって病気になってしまいます。それと同じように神様との正しい関係がずれてしまう時、人は神様から愛されていることや本来の人としての目的や道を見失って、その結果として様々な問題が生じて来るんですね。
そして罪の現実は三つのことによって知ることができると思います。一つは人間の歴史を見ることによって罪があるということが分ります。人の歴史は人がいかに罪ある存在かということを教えてくれますねえ。殺人があり、戦い、騒乱、破壊など、絶えることがありません。残念ながらそれは今でも同じです。
二番目は、人の心を見ることによって分ります。私たちの心を見たら罪が分りますね。ねたみがある、憎しみ・欲望・貪り・悪意・うらみ・高慢、すべきでないことをしてしまったり、すべきだと分かってるのにできない弱さがありますねえ。心の中を正直に見るならば、私には罪なんて一つもありませんと言える人は誰もいません。
そして三番目に、聖書のことばによって私たちに罪があるということが分るんです。聖書は、人はみな生まれながらに罪ある存在だ、とはっきりと教えています。そしてその罪の大元は、天地を創造された神様に背を向けて離れてしまっていることだと教えているんです。ですから聖書を知ることによって神様との関係がずれてしまっていることが罪の状態なんだということが分かって来るんです。
もし体のずれがあって体調を壊したら、そのずれを直すために病院に行ったりお薬を飲んだりしますね。聖書が言っている罪は神様との関係のずれな訳ですから、そのままほうっておいていいはずがありません。イエス・キリストはこうおっしゃいました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5章31節、32節 参照マタイ 9章12節、13節、 参照マルコ2章17節)
イエス・キリストこそ私たちのずれた状態を正し本当の罪の解決を与えるために来てくださったのです。
(PBA制作「世の光」2014.11.17放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。