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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のわざが現れるため 9 / 大嶋重徳

2014年11月04日 | Weblog
2014/11/04放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書9章には生まれつき目の見えない青年がイエス様と出会い、目が見えるようになったという出来事が記されています。

 目が見えるようになった一連の中で彼は自分の人生に起こったことを深く考えます。イエス様が言われたことば、「神のわざがこの人に現れるためです。」 これは一体どういうことなんだろうか?

 信仰は自分の人生に起こる理解不能な事柄から逃げ出すためにあるのではありません。むしろ理解不能な事柄を深く忍耐し、深く思い巡らし、自分の人生に向かいあって生きることができるようになるのです。イエス様に目を見えるようにしてもらった彼は、目が見えなかった自分の人生と更に目が見えるようになって目にした人間関係の醜さに愕然としながらもなお、自分の人生に神のわざが現れるとは何だろうか?と考え続けたのです。

 時に、神を信じる信仰であったとしても神は罰を与える存在かご褒美をくれる存在でしかないということがあります。その罰もご褒美も自分で気に入ったものであればご褒美で、自分にとって辛いことであれば神からの罰。つまり結局それを判断している自分が神になっているのです。自分の狙ったように実現すれば「神様、感謝。」 しかし実現しなければ、「神は祈りを聞いてくれない。やっぱり神なんかいない。」 それは分りやすく判断している自分が神になっているのです。

 しかし、自分の分かり易さよりも一歩歩みを進めて、神の前で自分の人生を思い巡らす。自分の人生を、自分の怒り・憎しみ・思惑・分りやすさ・安定で自分は自分の人生を今まで判断していた。しかし神がおられるということを知った。十字架にかかるまでに私を愛してくださった神が愛の眼差しで自分の人生を見つめてくださっている。神が私の人生を見ておられる。神が私の人生で神のわざを表そうとされている。その視線で自分の人生を生きるとき、人生の神様の守りと安心の中で生きる道が開かれていくのです。その時、神に問いながら生きることのできる人生が備えられています。

 ぜひ神様に自分の人生を聞きながら歩む歩みを始められてはいかがでしょうか。

  ( PBA制作「世の光」2014.11.04放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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