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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主のしもべキリスト / 羽鳥頼和

2014年11月08日 | Weblog
2014/11/08放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 旧約聖書のイザヤ書の42章に、神のしもべについての預言があります。この「神のしもべ」とはイエス・キリストのことであると考えることができます。イザヤ書はイエスの活動するおよそ700年前にその活動を預言していたのです。今日はこのイザヤ書の預言のことばと実際のイエスの活動を比較してみたいと思います。どんなことが分るでしょう。

 イザヤ章42章で預言されている三つの点について見てみましょう。

 まず最初、神がキリストのことを「わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。」(1節)ということが預言されています。実際にイエス・キリストが洗礼を受けた時に天から声が聞こえました。それは父なる神の声でした。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ 3章17 節)

 次に、イザヤ書が預言しているのは、神がキリストについて、「わたしは彼の上にわたしの霊を授ける」(1節)と言っているということです。この事も実際にイエス・キリストが洗礼を受けて水から上がった時、天が開け、神の御霊が鳩のように下ることによって実現しました。

 イザヤ書の三つ目のキリストについての預言は、キリストは「国々に公義をもたらす。」(1節)、ということです。実際にイエス・キリストは人々に「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1章15節)と語って人々に救いの福音を語りました。この福音こそが私たちに公義をもたらしたのです。福音の内には神の義が啓示されています。その福音とはキリストを信じる者が罪のない正しい者と認められ、神の救いをいただくことができる、というものです。新約聖書ローマ人への手紙3章24節にこのように言われています。
 「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 キリスト・イエスによる贖いとは私たちの罪の身代わりとなってくださったキリストの十字架のことです。私たちがこのことを信じれば、私たちは義と認められるのです。キリストの十字架によって私たちに公義がもたらされたのです。

 明日は日曜日です。私たちの救い主キリストに会うためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2014.11.08放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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