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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■失楽園 / 板倉邦雄 

2011年09月14日 | Weblog
2011/9/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「失楽園」という題でお話ししましょう。旧約聖書の創世記3章の続きです。まず聖書をお読みします。主なる神は言われます。

 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。 (創世記3章22~24節 口語訳聖書)

 さて私たちにとっての失楽園とは何でしょうか。それはまず第一に、永久に生きることを失ったということでしょう。すなわちすべての人は死ぬべき者となったのです。人はなぜ死ぬのか。歳取るから死ぬのではありません。病気で死ぬわけでもないのです。人は罪を犯し堕落したために死ぬ者となりました。ですから死は私たちにとって自然なものではありません。死は私たち人間にとっては不自然なものなのです。ですから死は恐怖です。死は罪の報酬として与えられているからです。

 罪の報酬は死である。しかし神の賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命である。

 次に、失楽園は自分が造られた土を耕す労働者になるということでしょう。土を耕す労働を通して自分たちがいかにもろく傷つきやすく弱く崩れてゆく土の器であるかを確認してゆく作業となります。(※)

 最後に失楽園は再び命の木の道に至る道ではないでしょうか。私たちにとっての命の木の道、それは神様がこの世に遣わした神の子イエス・キリストの十字架の木ではなかったでしょうか。私たちはこの十字架の木にかかられて私たちの罪の身代わりとなって血を流し、死んでくださり、三日目によみがえられましたこのイエス・キリスト、神様の右に座られたイエス・キリストを通して再び永遠のいのちに至るのです。イエスは言われました。

 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 」 (ヨハネの福音書14章6節 口語訳聖書)

 ( PBA制作「世の光」2011.9.14放送でのお話より )

 ※創世記2章15節によると、神様は、助け手エバを造る前に最初の人アダムにエデンの園を耕させて園を守らせています。そこからすれば、労働そのものは人が失楽園を経験する前からのものであると言えます。ただ、失楽園以後は労働の意味が変わってしまったと言えます。



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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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http://yonohikari.biblica.info 

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