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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■さばいてはいけません / 福井 誠

2011年09月01日 | Weblog
2011/9/1放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「さばいてはいけません」ですそれではマタイの福音書7章1節から読んでみましょう。

 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7章1節、2節)

 裁いてはいけない。これはイエス様の命令です。なぜ裁いてはいけないのか、イエス様は裁かれないためであると言います。人を裁くならそのさばきは自分自身に戻ってくる。裁きは天に向かって唾をするようなものだからやめておきましょうという訳ですね。

 しかし実際には物事をきちんと裁かねばならない、ただしていかなくてはいけないということもあります。そういう立場に立たされることもあるでしょう。そういうときにはどうしたらよいのか。イエス様は続いて面白い例えを語っています。そこにヒントがあるように思いますね。

 どういう例えかというと、それは人の目の中のちりを取ってあげようとしている人がいるのですがその人の目にはちりどころか梁が刺さっている。まず自分の目の中の梁をとりなさい、というものです。ちりということばはギリシャ語でカルフォス--見付かりにくい本当に小さなゴミのことを言います。一方梁ということばはギリシャ語でドコス--柱に使われる角材を意味しています。小さなちりを目から取り除こうとしている人の目に角材が突き刺さっている。それは非常におかしな光景ですねえ。で、イエス様が言いたいことは、人間には人の問題が見えているようで実は見えていないという、そういう弱さがあるのだから注意しなさいということですね。実際、裁きということばはもともと「より分ける」とか「識別する」という意味を持っています。ですから人を裁くことそれ自体は悪いことではありません。ただ人間には弱さがあってその裁きをゆがめてしまいやすいということが問題なのです。そして下手な裁きをすればそのしっぺ返しを受けるものですね。ですから人を裁く時にはそういう人間の弱さをちゃんと心得て慎重にさばきましょう。何もかも分かったような気になって、まるで神のように人を裁くのはやめましょう、ということです。本当に正しく裁くことができるお方は神様ただお一人だということですね。

 人間は誤り易いものです。そういう弱さを心得た行動を、振る舞いをしていきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.1放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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