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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■隠れる人生 / 板倉邦雄

2011年08月03日 | Weblog
2011/8/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は「隠れる人生」という題でお話ししましょう。

 子供の頃、隠れんぼをしたことがあります。私たち人間は子供の頃から隠れること、隠すことが得意のようです。

 さて、創世記の続きです。神様のことばを疑い、悪魔の誘惑に敗北した男女はどうなりましたか? まず自分の体の恥を隠しました。「ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。 」(創世記3章7節 口語訳聖書)とあります。本当は全身を隠したいほど恥ずかしかったでしょう。裸の王様である自分たちを発見して私たちはまず体の恥ずかしさを隠したいですよね。頭の髪から足のつま先まで体の恥を隠したいのです。

 次に、悪いことするので私たちは隠れたいのです。二人は「涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 」(創世記3章8節 口語訳聖書)とあります。悪いことをすると私たちは親の顔を見たくなくて隠れてしまいます。父は私が悪いことをして逃げようとすると必ず後から大声で言いました。「逃げきれるか!」 私たちは主なる神様の前から逃げ切れません。まして隠れることも隠すこともできません。しかし、あたしたちは隠れる人生、隠す人生を送ってしまうのです。

 私は友達を家へ連れて行くのが嫌でした。それは母が目が不自由で何もできなかったからです。わたしは自分の母を隠す人生でした。そのような自分の容姿を隠し自分の家族を隠したがる私たちに主なる神様は呼びかけてくださいました。「あなたはどこにいるのか」創世記3章9節 口語訳聖書) 私たちは隠れ隠す人生です。しかし主なる神様はそのような私たちを知っていながら、「あなたはどこにいるのか」と探し求めてくださるのです。それは私たちを居てはならない場所から立ち帰らせるためです。主イエス・キリストはそのためにこの世に来られました。イエス・キリストのことばです。

 「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである
    ルカの福音書19章10節 (口語訳聖書) 

  ( PBA制作「世の光」2011.8.3放送でのお話より )


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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。






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