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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■赦しの喜び / 山中直義

2011年08月23日 | Weblog
2011/8/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 迷子になった子供を必死に探し求め、見つかれば抱きしめて心から喜ぶ。神様の愛、人を愛し人を赦そうとする神様の愛はそんな姿に似ています。

 旧約聖書レビ記4章には罪のためのいけにえに関する教えがあります。ここで言われてる罪とは単に悪いことする、悪い考えを持つということではありません。それはもっと本質的なもの、すなわち神様のもとから迷い出る。神様のことばから迷い出てしまうということを意味しています。人は誰も皆神様のもとから迷い出てしまう。そして生きる指針も基準も失い、人も自分も傷付けてしまう。聖書はそう言うのです。ですがそこには必ず回復の道がある。神の赦しがある。その事をこの罪のためのいけにえはわたしたちに教えます。

 さてこのいけにえの特徴の一つはその方向性にあると言えます。命を象徴していた血。捧げられる動物の血がいくつかの場所に注がれたのですが、それが神の側から人の側へと注がれていったことが聖書には示されています。罪の赦し、神様との交わりの回復は神の側から人へと与えられる恵み。失われた人を必死に探し求めて救おうとする神様の愛によるものだと聖書は教えているのです。

 このことについて新約聖書にこんなことばがあります。

 「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ 19章10節)

 神の御子であるイエス・キリストがこの世に来られたということ、それはまさに神のもとから迷い出た人を探し出し救うためであったと聖書は言うのです。そして動物の血ではなく、罪がないきよい神の御子の血が十字架で流されたことによって人は罪赦され神との交わりへと再び招かれたと言うのです。

 どうでしょうか。私は生きる指針を失ってしまった。私はまるで迷子のようだ。そう感じてはおられないでしょうか。もしそうならどうか神様のもとへ、あなたの魂の安住の地へと戻ってください。

 聖書のことば

 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 新約聖書 ルカの福音書19章10節

    (PBA制作「世の光」2011.8.23放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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