♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■隠れた所で見ておられる父が / 福井 誠

2011年08月11日 | Weblog
2011/8/11放送
  
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「隠れたところで見ておられる父が」です。ではマタイの福音書6章18節から読んでみましょう。

 「しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」(マタイの福音書6章17節、18節)

 先日ある集会で子育ての話で花が咲いていました。子供に{誰が見ていなくても神様が見ておられるよ。」と言って聞かせるという訳です。ラジオを聞いてる皆さんはどんな意味にこれを受けとめますか? ニュアンスによってぜんぜん聞こえ方が違うねというお話でした。

 ある人は神様が見ておられるよ、悪いことをしてはいけないよ、とまるで神様が監視カメラであるかのように受けとめましたし、またある人は神様が見ておられるのだから人に認められなくても大丈夫ちゃんと報いがあるよと慰めを与えるような意味で受けとめました。誰が見ていなくても神様か見ておられるよというたった一言が前後の文脈を切り離すと二つの意味のどっちかなあと思わされるものですねえ。

 さて聖書は、「断食するときには隠れた所でそれをしなさい。」と言います。「そうすれば隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」というのです。なるほど、神様はちゃんと私たちの行為を覚えてくださっているのですねえ。

 たとえ誰にも知られないような出来事であってもそれを覚えていてくださってそれが報われるべきことであればちゃんとその事に報いてくださる。私たちがこうした神様に対する信仰をしっかりと持つことができればもっと私たちはつまらない自己顕示欲から自由になっていくのではないでしょうか。しかしそうではないからこそ私たちは浅ましく人に自分を認めさせるようなことをしてしまいがちですね。そして自分のあさましさに気づかされてますます自分の小ささに嫌気をさす所があるものです。

 神様を認めていきましょう。そして裏表のない真実な歩みをさせていただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.8.11放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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