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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■祈りの応答 / 関根弘興

2011年08月29日 | Weblog
2011/8/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 誰でも一生涯のうち何回かは祈るという経験をされることがあるでしょう。受験のシーズンになれば合格祈願があり、何かの試合があれば必勝祈願をささげ、商売繁盛を願い、健康を祈る。ま、これは一般的ですよね。また困難に陥った時など「神様、助けて」と思わず叫ぶこともあります。また手紙の挨拶文には「あなたのご多幸をお祈りいたします」と付け加えることもありますね。

 でもとても不思議なことなんですが、祈る経験はあっても「一体誰に向かって祈っていますか?」と問われると、「ええっ?」という顔をされることがあるんです。誰に向かって祈っているのか、祈りの対象がはっきりとしなくても何となく漠然と祈っているということがあるんですねえ。

 ま、こんな事を言いますと「関根さん、祈りというものは祈る心そのものが大切なんですよ。」と言われるかもしれません。ほんとにそうでしょうか。聖書を開くと私たちの祈りのイメージを変えてしまいます。なぜなら、まず私たちの祈りの対象である神様について語っているからです。

 この方は天地万物の創造者であると語っているんですねえ。そしてこの方はわたしたちの永遠のお父さんだと教えているんです。ちょうど小さな子供が親しく「お父さん」って呼びかけるように私たちも「天のお父さん」って呼びかけることが祈りの出発だと教えています。あなたは今まで祈っているその対象に対し、「お父さん」っていう感覚を持って祈った事がありますか? 実は聖書で教える祈りは親しいお父さんとの会話のようなものだと教えます。

 ですから祈りはお願いだけではありません。そこには心からのありがとうの感謝もあります。「今私はこんな状態なんです」、自分の姿を知ってもらうこともあります。もちろん願いもあるでしょう。そして「神様、あなたが聖書で言われた通りに歩んでいきます」という信頼の応答もあるでしょう。祈りはただお願いをすることだけではないんですね。

 そしてイエス・キリストはこんなことばを語りました。「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネの福音書 14章14節) イエス様は「わたしの名前によって求め祈りなさい」と言われたんですね。名は体を表すと言いますけれども、「イエス様の名前によって」とはイエス様の持っている権威によってということなんです。天に於いても地においても一切の権威を持っておられるイエス・キリストの名前によって祈るからこそ、その祈りは聞き届けられるんですね。

 「天のお父様」と呼びかけ、最後に「イエス様の名前によって祈ります」と付け加え、あなたも祈っていませんか。
 
 (PBA制作「世の光」2011.8.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 




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