♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■ヒゼキヤ王の信仰と行い / 羽鳥頼和

2011年08月20日 | Weblog
2011/8/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。先週に引き続き、心の思いと行いについて聖書から学びたいと思います。そこで今日はヒゼキヤという王様の心の思いと行いについてお話しします。

 聖書に「ヒゼキヤは・・・その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。」(歴代誌第二 31章20節)とあります。彼はイスラエルの国の堕落してしまった信仰を復興させました。神殿に持ち込まれていた異教の神々を排除し、神様が命じられた大切な儀式を再び行うようにしました。ヒゼキヤは国にまことの信仰とその行いを復興させたのです。聖書はそのようなヒゼキヤについて、「彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行ない、その目的を果たした。」(歴代誌第二 31章21節)と語っています。ここにヒゼキヤの心の思いが記されています。ヒゼキヤの心は神に向いていたのです。他の聖書の箇所にはこのような彼の心を、「彼はイスラエルの神主に信頼していた。彼は主に堅くすがって離れなかった。」と語っています(列王記第二 18章6節参照)。ヒゼキヤの心はいつも神様のことを覚えており、神様を信頼し神様から離れることがなかったのです。この心はまさに神様への信仰ということができます。ヒゼキヤは国民を、神様を礼拝する民としようという志を持ちました。そしてそれを成し遂げたのです。その力となったのが神様への信仰だったのです。

 こんな素晴らしいことを行ったヒゼキヤですが、完璧な人ではありませんでした。彼は病気になって死にかかった時のこと、彼は必死で祈りました。すると神様は彼に回復を与えてくださいました。ところが彼は神様に感謝することをせず、心を高ぶらせてしまったのです。彼の心も完璧ではありませんでした。神様のこと忘れてしまうことがあったのです。すると神様の怒りがヒゼキヤに降りました。するとヒゼキヤはすぐに心の高ぶりを捨てて神様にへりくだりました(イザヤ38章9-20節参照)。神様が怒られたのはヒゼキヤが信仰を回復するためだったのです。

 このように神様は信仰を持ったものを守り、失敗しても回復できるように助けてくださるのです。

聖書のことば

 「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」 ピリピ人への手紙2章13節

  ( PBA制作「世の光」2011.8.20放送でのお話より )

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