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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■信仰は生きること / 関根弘興

2011年08月22日 | Weblog
2011/8/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 えー、よく「信仰」ということばを使いますよねえ。信仰とは信じ生きるということです。私たちはこの信じ生きるということを毎日行っています。

 この番組を聴いているあなたは少なくても放送時間を調べその放送を信じてスイッチを入れたに違いありません。そしてその情報が正しければ信じた結果を必ず受けるわけです。それはこうして番組を聴くことができるわけですね。ま、電車でどこか出かけられる時行き先を調べ時刻を調べます。その情報を信じ行動するわけです。電車に乗り込みます。すると信じた行動をした結果を得る訳です。ま、目的地に着くという訳です。

 このように私たちの日常生活は信じたことによって行動が生まれ、そしてその行動がもたらす結果を得て毎日の生活を生きている訳です。

 ではイエス・キリスト信じ生きることそのことによってもたらされる結果は一体何でしょうか。聖書のことばを紹介しましょう。

 「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」第一ペテロ1章の8節から9節 

 イエス・キリストを信じ生きるということはイエス・キリストを愛し信頼し、ことばに尽くすこともできない喜びというものを得るのだと聖書は私たちに教えているんですね。イエス・キリストを信じ生きる。その時にもちろん困難や苦しみも襲います。辛いこともあります。でもイエス・キリストを信じ生きるというのはイエス・キリストの語られた約束されたそのことばを信頼し一歩踏み出しながら神様の守りと神様の導きを信頼し生きていくことなんです。そしてその結果、感謝が生まれてくるんですね。

 信仰に生きるということは決して難しいことではありません。聖書は、あなたの罪のためにイエス・キリストはご自分のいのちに代えて十字架についてくださった、いのちをかけるほどの大きな愛を注いでくださっている、と教えています。だから愛されてることを自覚して生きて行く。これが信仰です。イエス・キリストは十字架につけられ三日目によみがえられました。ですから、私たちの人生は決して死で終わることがない。そのことを信じ永遠を見つめて生きて行く。これが信仰なんです。

 この世にあってはいろんなことがありますけれどもすべてを益としてくださるキリストの恵みに委ねて人生を生きること。これが信仰の姿なんですね。どうぞ信じ生きていくことにいたしましょう。 

 (PBA制作「世の光」2011.8.22放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 




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