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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■永遠の命を得るために /関根弘興

2010年10月26日 | Weblog
2010/10/26放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 あるとき一人の青年がイエス・キリストのもとに走り寄ってきて、「先生、何をしたら永遠のいのちを得ることができるでしょう。」(参照 マタイ19章16節、マルコ10章17節、ルカ18章18節)と、こんな質問してきました。まあ自分の人生の永遠の救いはどのようにしたら手に入れることができますか、という真面目な質問ですね。

 でもこの青年はちょっと人より自信があったようでした。道徳的にも真面目で、自分は宗教的な戒めを守っているし、まあ自分のような優秀な人間が永遠の命を受けずして誰が受けることができよう、そんなふうに思っていたようなんですねえ。

 また彼は大変裕福でした。当時のユダヤの社会では繁栄は神様の祝福の印と見られていたので、この青年は自分には神様の祝福がたっぷり注がれているという思いもあったでしょう。ですからこの青年ほど天国に近い存在はない、と自分もまた周りの人たちも考えていたようです。

 しかしイエス・キリストはそういう青年の姿を見て、慈しんでこう言われました。「あなたは神様に祝福されている証拠と考えているそれらの富をすべて貧しい人に施しなさい。」こう言われたんですねえ。「あなたの財産を全部貧しい人に与えなさい。---あなたが自分の行いによって救いを得ようとするなら、行いによって永遠の命を得ようと考えなら、それを実際に示してみなさい」と言われたのです。

 すると予想外のイエス・キリストのことばに、彼の顔は暗くなり、悲しみながらイエス・キリストの元から去って行ってしまいました。

 私たちは誰も永遠の救いを求めています。死を乗り越えた永遠のいのちを得たいと願っています。だからある人は一生懸命努力をし、そして修行するかもしれません。しかしそれは自分の行いによって達成しようとするとき、そこには必ず失望と悲しみが襲ってくるんだということをこの青年とイエス様との会話は教えているようです。

 聖書は繰り返し、行いによっては救われない、行いによっては永遠のいのちを持つことができないのだと教えています。

 新約聖書の後半の沢山の手紙を書いたパウロはこう語っています。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
     エペソ人への手紙2章8、9節

 私たちはイエス様の一方的な恵みであり賜物である永遠のいのちを、永遠の救いを、ただ単純に感謝し受け取る信仰だけが必要なんです。修行でも努力でもなく、功績でもなく、ただイエス・キリストを信じ受け入れる単純な信仰によって永遠のいのちは与えられるんです。何と感謝なことでしょう。

 (PBA制作「世の光」2010.10.26放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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