♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■たましいの渇き

2010年10月01日 | Weblog
2010/10/01 放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

 この10月から最初の金曜日は旧約聖書の詩篇を少しずつ味わわせていただきたいと思っています。 
 今日の詩篇は42篇です。 1節、2節をお読みします。

 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。

 私たちは渇きを経験します。 その渇きには三つのものがあると言われます。 一つは、水を求める身体の渇き。 喜びや生き甲斐を求める心の渇き。 そして真の潤いと神を求める魂の渇きです。 

 確かに私たち人間は心の奥底に人間の存在を超え、知識や理解をはるかに超える存在への畏敬の思いを持っています。 この地上に多くの宗教と呼ばれるものがあることも、その魂の渇きを表しているのでしょう。 

 この詩篇の作者は「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、・・・私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。」と謳(うた)っています。 単に超越した存在であればどんなお方でも良いというのではありません。 その渇きを本当に潤すのは、聖書が語る愛なる神様です。 人間もすべてのものをも創造され、今も生きて愛を注ぎ続けてくださる神様に出会うまで私たちの魂は満たされることがないのです。 

 また、この詩篇の作者は「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように」と表現しました。 ある人は、それは傷ついた鹿のことではないか、と言っています。 鹿が水を慕い喘(あえ)ぐように、私たちの傷ついた心、空しさや失望を味わう魂は、生ける神、まことの愛なる神様を求めて渇いているのです。

 あなたはいかがでしょうか。 あなたは深い悲しみや痛み、渇きや失望を経験していらっしゃいませんか? またその渇きは魂の渇きではないでしょうか。 心の渇き、魂の渇きは、生けるまことの神様によらなければ潤されないのです。 あなたも真の潤いを求めて神様のもと・近くのキリスト教会にいらっしゃいませんか? 愛なる神様はあなたを待っておられます。 

 それではまた聴いてください。
 
   (PBA制作「世の光」2010.10.1放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする