2010/10/12放送
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
先日番組に寄せられたお便りの中でこんなものがありました。
「イエス・キリストが私たちの罪のために死んでくださったと言うけれど、二千年前には私はそこに存在もしていなかったのに、どうしてイエス様が私たちのために死なれたと言えるのですか?」 ま、こんな質問でした。
イエス・キリストが私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださったことによって、私たちの罪が赦される、ということはですねえ、これは契約のようなものなんですねえ。
たとえば私の父が私の生まれるはるか前、60年、70年も前に土地を購入し、土地の売買契約書がここにあったとしましょう。 その時私はまだ生まれていません。 でもその時生まれていなかったとして、その後私が生まれてこの土地を相続することができないなんていうことはありませんよね。 契約した時に私がいなくても、はっきりとした契約書があれば有効なんです。
イエス・キリストは十字架につけられる前に弟子たちと最後の晩餐の時を持ちました。 そしてその時イエス様はまずパンをとり、「このパンはわたしのからだです。」(参照 マタイ 26章26節、マルコ 14章22節、ルカ 22章19節、1コリント 11章24節) と言われました。 そしてぶどう酒の杯をとり、「これはわたしの血による新しい契約で、多くの人のために流されるものです。」(参照マタイ 26章28節、マルコ 14章24節、ルカ 22章20節、1コリント 11章25節)と言われたのです。 その後イエス・キリストは捕えられ、十字架につけられていく訳ですねえ。
イエス・キリストは、「わたしが十字架につけられて流す血によって新しい契約が結ばれるのだ。 その契約とは、わたしがあなたがたの罪の身代わりとなる、という契約で、それを信じるあなたがたの罪は赦される、そういうものなんだよ。」という訳ですねえ。
契約なら当事者のどちらかが放棄しない限り、まあ何年経とうが何百年経とうが何千年経とうがその有効性は何一つ変わらない、ということなんです。 ですから二千年前のイエス・キリストの十字架の出来事は、信じる一人ひとりに対しては何千年経とうがまったく変わることなく有効なのだ、という訳ですね。
私はぜひあなたに確信していただきたいんです。 イエス・キリストは決して変わることのない約束を契約をあなたに与えてくださっているということです。
イエス・キリストは言われました。 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と。(マタイ 24章35節、マルコ 13章31節、ルカ 21章33節) イエス・キリストのことばは決して滅びることがないんですねえ。 イエス・キリストの契約は決して不履行にされることはない、ということです。
私たちは単純に心を開いて、「イエス様ありがとうございます。 あなたの十字架の契約の血によって私の罪を赦してくださったことを感謝します。」と、心から受け入れること。 これが最も大切な応答なんです。
(PBA制作「世の光」2010.10.12放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。
先日番組に寄せられたお便りの中でこんなものがありました。
「イエス・キリストが私たちの罪のために死んでくださったと言うけれど、二千年前には私はそこに存在もしていなかったのに、どうしてイエス様が私たちのために死なれたと言えるのですか?」 ま、こんな質問でした。
イエス・キリストが私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださったことによって、私たちの罪が赦される、ということはですねえ、これは契約のようなものなんですねえ。
たとえば私の父が私の生まれるはるか前、60年、70年も前に土地を購入し、土地の売買契約書がここにあったとしましょう。 その時私はまだ生まれていません。 でもその時生まれていなかったとして、その後私が生まれてこの土地を相続することができないなんていうことはありませんよね。 契約した時に私がいなくても、はっきりとした契約書があれば有効なんです。
イエス・キリストは十字架につけられる前に弟子たちと最後の晩餐の時を持ちました。 そしてその時イエス様はまずパンをとり、「このパンはわたしのからだです。」(参照 マタイ 26章26節、マルコ 14章22節、ルカ 22章19節、1コリント 11章24節) と言われました。 そしてぶどう酒の杯をとり、「これはわたしの血による新しい契約で、多くの人のために流されるものです。」(参照マタイ 26章28節、マルコ 14章24節、ルカ 22章20節、1コリント 11章25節)と言われたのです。 その後イエス・キリストは捕えられ、十字架につけられていく訳ですねえ。
イエス・キリストは、「わたしが十字架につけられて流す血によって新しい契約が結ばれるのだ。 その契約とは、わたしがあなたがたの罪の身代わりとなる、という契約で、それを信じるあなたがたの罪は赦される、そういうものなんだよ。」という訳ですねえ。
契約なら当事者のどちらかが放棄しない限り、まあ何年経とうが何百年経とうが何千年経とうがその有効性は何一つ変わらない、ということなんです。 ですから二千年前のイエス・キリストの十字架の出来事は、信じる一人ひとりに対しては何千年経とうがまったく変わることなく有効なのだ、という訳ですね。
私はぜひあなたに確信していただきたいんです。 イエス・キリストは決して変わることのない約束を契約をあなたに与えてくださっているということです。
イエス・キリストは言われました。 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と。(マタイ 24章35節、マルコ 13章31節、ルカ 21章33節) イエス・キリストのことばは決して滅びることがないんですねえ。 イエス・キリストの契約は決して不履行にされることはない、ということです。
私たちは単純に心を開いて、「イエス様ありがとうございます。 あなたの十字架の契約の血によって私の罪を赦してくださったことを感謝します。」と、心から受け入れること。 これが最も大切な応答なんです。
(PBA制作「世の光」2010.10.12放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。