昨日は3時過ぎぐらいから、いただきものの御酒を「生きてることって奇跡だよなあ」などと思いながらしみじみと味わいました。
このところ目にした震災関連のいろいろな発言のうち、あたりまえのことをシンプルにいってくれてるなと思ったのが、東京新聞の3月8日の社説。これは、5年前に1面に掲載された「原発に頼らない国へ」という評論を踏まえてのものでした。一部抜粋します。
●命の安全第一に 3.11から5年
事故のあと、民主党政権は原発の寿命四十年を順守して自然的消滅の政策をいったんは立てたものの、政権も代わって今は原発維持策です。
温暖化対策をいい、経済性をいい、エネルギー安保も持ち出される。それらはむろん重要です。しかしながらより守らねばならぬものは命の安全です。原発代替の手段も技術もあるのです。
五年前の評論では、なぜ原発に頼らないかは、人の命と安全は経済性に優先するからだと記しました。人間を大切にすることが、私たちの従来の主張だから、と。
裁判用語では人格権の尊重であり、社会用語なら倫理ということになるでしょう。
事故で私たちが思い知らされたのは、原発とは巨大な核施設であり、人間も組織もミスを犯しうるということです。
五年は歳月の節目だが、被災者にはただ通過する一日でもあるでしょう。原発事故と地震津波被災への悲しみと苦しみ、そして怒りを私たちは日々共有しよう。よりよい社会、人を大切にする国にするために。
あのさ、「命の安全第一に」するためには、今の安倍政権、自民党政権では無理。
無理どころか、「原発をじゃんじゃん」「戦争をどんどん」「国民を貧困化して、カネのためなら命が危ないことがわかってても働くようにさせるぞ」「福祉ってなんじゃいな。お国のために貢献できない高齢者や障害者、生まない女どもはいらん」「貧乏人に学歴は必要ないよ」ってなことを平気でやってるじゃないのさ。
あたしゃ原発も戦争もいりまっせん。安倍政権もいりまっせん。
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