ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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東海村村長が明かしてくれた「天佑」

2012-12-19 15:49:27 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 通販生活2012年秋冬号「落合恵子の深呼吸対談」 第15回 原発連続講座 その4」は、原発がある自治体の首長で唯一「脱原発」を表明している茨城東海村村長の村上達也さんとの対談です。
 東海第2原発も危機一髪だったこと、福島第1原発4号機がメルトダウンしなかったこと、女川原発が無事だったことなどは天佑と言うしかなかったことなど、村上さんの発言にはもうびっくりしました。
 原発を推進してきた自民党がふたたび権力の座に返り咲いてしまった今、原発についてもっと知ってさらに強くストップをかけなきゃならないということがまたわかったよ。
 抜粋して、何回かに分けて紹介します。

●東海第2原発の防潮壁が完成したのは3・11の2日前
落合 去年の3月11日に東日本大震災が起きたとき、東海村の第2原発も危機一髪の状況だったそうですが。
村上 震災から約2週間後にその危機的な状況について聞いたのですが、ぞっとして凍りつく感じでした。
 福島原発のことは心配していましたが、東海第2原発は自動停止したから心配ない、津波もそう高いのは来ていないと思っておったんです。ところが第2原発への東電からの送電はストップし、3月11日の午後11時過ぎには、非常用電源装置3台のうち1台がダウンしていた。
 水を炉心に送る緊急冷却系のパイプがあるのですが、電気不足で半分しか動かせない状況でした。170回も圧力逃し弁操作をして、3日半かけて冷却しました。
 冷温停止前に外部電源の一部が復旧したので安定したわけですが、もう少しで福島と同じ事態に陥っていたわけです。

 非常用電源装置3台のうちの2台が使用できたのは、津波の被害に遭わなかったからですが、その装置を守った防潮壁をつくり始めたのが3・11の1年半ぐらい前で、完成したのは3月9日でした。
落合 震災の2日前ですか。
村上 はい。天佑でした。
 今回の震災では、東海第2原発以外にも天佑はいっぱいあるんでしょうね。
 福島第1原発の4号機の燃料プールがメルトダウンしないで済んだのは、工事の不手際で4号機の炉心上に水があり、それが流れ込んだからでした。その水も4日前にはなかったはずだと。あれこそ天佑です。まあ4号機は今でも安定した状態ではありませんけどね。

 原発推進派の学者などは「福島第1の事故のことばかり言うけど、女川原発も東海第2原発も大丈夫だった。きちんと対応していた原発は無事だった」と言いますけど、そんなの嘘です。
 女川だって外部電源5回線のうち4回線がアウトになったんだから、スレスレだったんです。

    もう、何を言っていいやら……


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