安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

2021年、別れと決意の秋のようで……

2021-10-04 23:13:54 | 日記
読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋。秋にはいろいろな修飾語が施される。それだけ何をするにもいい季節ということなのだが、2021年、当ブログ管理人にとっては思いがけない「別れの秋」となってしまったようだ。

すでに、当ブログの2大メインテーマである公共交通や原子力分野で、自分にとって身近な存在だった組織に奉職していた人(元国労本部書記)や家族以上に関係の深かった人(「やいちゃん」こと人見やよいさん)との別れが続いた。そのせいか最近は比較的問題なく推移してきた管理人の精神状態はまた落ち込んでおり、睡眠導入剤を2倍にして服用している(医師からは「眠れないなら2倍までにはしても良い」と言われている)。

そして、大切な「人」以外のことに関しても、この秋は今まで惰性でだらだらと続けてきたいろいろなものを見直し、不要と判定したものとは別れを告げている。

1.みずほ銀行との別れ

就職した年に開設し、さまざま使い倒してきたみずほ銀行の口座の使用をやめることにした。きっかけは言うまでもなく、今年に入ってからだけで8回も起きたシステムトラブルだ。

1994年(平成6年)4月、私は1年の就職浪人を経験した後、今の職場に拾ってもらった。その際、なぜか「給与は郵便局への振込でいいけれど、それ以外(出張旅費など)の経費精算に郵便局は使えないので、郵便局以外に口座を何か作ってほしい」と経理担当に言われた。全国に支所・出張所のある職場で全国転勤になることは就職段階でわかっていたので、転勤のたびに切り替えを繰り返さなければならない地方金融機関の口座では面倒と思ったのと、職場から徒歩圏内に支店を置いている唯一の大手都市銀行が富士銀行だから選んだに過ぎない。そういう経緯もあって私のキャッシュカードはいまだに富士銀行のままである。「今だったらキャンペーン期間中なので、ヒロ・ヤマガタさんの限定デザインのカードにできますよ」と行員に勧められ、何でもよかったので適当にそれにしてもらったことを覚えている。

旧富士時代は立派な銀行だったのに、おかしくなったのはやはり第一勧業銀行、日本興業銀行との3行合併でみずほとなってからだ。富士と興銀が名目上は「解散」し、第一勧銀が存続するという形になった。第一勧銀を存続会社としたのは、この銀行が大蔵省(当時)から宝くじの発行委託を受けていて、その権利を手放したくなかったからだろう。第一勧銀自身も元は第一銀行と日本勧業銀行が合併してできた銀行で、合併前の第一銀行はあの渋沢栄一が設立した。由緒ある銀行なのである。

このときに「第一勧銀さんは他の2行とは違う、特別の由緒ある歴史と宝くじの発行権をお持ちですから」と他の2行が譲歩して、システムも第一勧銀のものに一本化しておけば今日の事態にはならなかった。しかし3行それぞれが「一本化はしましょう、ただしうちのシステムは残してね」という姿勢でどこも譲歩しなかったため、旧3行のシステムをそのまま接続するという最もやってはならない「悪手」を使ってしまう。みずほの悪夢はこれが原因で始まったのである。

合併から19年も経った2019年になって、みずほ銀行は「MINORI」という新システムにようやく移行した。旧システムを稼働させながら、5千億円という巨費を投じて改修したシステムだ。当ブログ管理人はこのとき、旧3行のシステムを廃棄して、まったく新しいシステム「MINORI」に旧3行が統合されるものと思っていたが、どうやらそれは壮大な思い違いだったようだ。巷間、漏れ聞くところによると「MINORI」も結局、旧3行のつぎはぎシステムという根幹部分には手を付けられなかったらしい。移行直前の半年は3連休のたびにメンテナンスでATMが止まるという大改修までしながら、あの苦労は何だったのか。

私も、ネットワークやシステムに関する知識は「一般人より少し詳しい程度」でしかないが、それでもネットワークの最大の弱点が接続部分にあることくらいは理解している。例えば、自宅のWi-Fiが突然つながらなくなったら、NTTの外部回線と自宅内LANの接続部分であるルーターをまず疑うべきであることは常識だろう。異なるシステム、異なるネットワーク同士の接続部分という「弱点」をできる限り少なくすることがシステムと通信の安定に不可欠なことくらい、素人でもわかる。それなのに、お金をもらってシステムやネットワーク構築に携わっているシステム技術者が、「接続部分(=弱点)」の数を直接減らすために最も有効な行為である「一本化」をしないとは、プロが聞いて呆れるというものだ。

もっとも、システムのプロが、素人でもわかるその程度のことがわからないとは思えない。問題は、技術者たちにそのような当たり前のことすら許さない腐った旧3行意識が合併後20年近く経ってもまったく消えていないことだ。今はシステムトラブルとしてしか顕在化していないが、問題のある組織は一事が万事、ほかもすべてこんな状態だから、いずれシステム以外の部分でも組織の悪弊が問題として噴出してくるだろう。

今回、金融庁はみずほに対し、システムトラブルの原因究明とその対策の報告を求めたが、結局みずほは期限までに原因究明ができなかった。原因がわからなければ対策もできないから、システムトラブルは今後もことあるごとに続くとみなければならないだろう。金融庁は、みずほのシステムを直接国の管理下に置く意向を表明しているが、事がシステムだけで終わる保障はない。むしろシステムは金融庁による介入の「端緒」に過ぎず、いずれ業務運営全般に及んでくるだろう。福島第1原発で大事故を起こし、半国有化状態となった東京電力のように、事故やトラブルに乗じて「統治能力なし」とみなした企業に政府が介入する典型的なケースである。

当ブログ管理人が、みずほからの預金引き揚げをこのタイミングで決めたのは、金融庁の動きを見てまずいと思ったからである。システムがトラブルで飛んでしまっても、預金通帳に残高が記録されていればそれは権利の証明になり、預金は保護されるだろう。焦って預金を引き出す必要までは現状ではないと思う。だが、業務を全面管理下に置いた後、システムトラブルを口実に金融庁がみずほの預金の凍結(自由な出し入れを禁止)などの措置に出てくる可能性がゼロではないとみたからである。もちろんその可能性は現状では低いし、口座が凍結されても権利は残るであろうから心配ないが、使いたいときに自由に使えなくなるような金融機関では意味がないと考え、引き揚げを決めたのである。

行き先は、郵便局でも良かったが、色々考えた末、地元の農協に口座を作ってそこに移した。農協は、意外と思われるかもしれないが組合員でなくても口座を持つことができる。員外利用と呼ばれるものだが、今の農協は員外利用が組合員の利用を上回るまでになっている。地域の弱小農協が経営破綻しても、農協貯金は大部分が都道府県信連に、さらに農林中金に預けられ、全国の農協が互いに助け合うシステムになっている。農水産業協同組合貯金保険法という法律もあり、ここに定める範囲で貯金はちゃんと保護される。

みずほ銀行の口座残高は完全にゼロにしてしまった。自分たちのシステムの全容も、それゆえにトラブルの原因も特定できない金融機関に未来があるとはとても思えない。みずほとはこれが永遠の別れになると思う。

当ブログ管理人が口座を開設しているのは郵便局のほか、労働金庫、農協だけになった。主務官庁が金融庁でない金融機関ばかりである(郵便局は総務省、労金は厚労省、農協は農水省が主務官庁)。ついでに言うと、労働金庫もATMは全国で一本化されている上、労働組合員はATM手数料を払わされても、後で戻ってくるという特典もある。手数料実質無料なので、「組合費だけ取られて相談にも乗ってくれない」とお嘆きの向きは、せめて組合員としてのメリットを労金口座開設という形で活かしてみる手もなくはない。

2.北海道新聞との別れ

そして、転勤で北海道に引っ越してきてから、1日も欠かすことなく購読し続けてきた北海道新聞をやめた。最近の記事の急速な質の低下に失望したからだ。

特に、10月1日付の記事には失望を通り越し、怒りを感じた。福島の甲状腺がんと原発事故との因果関係を否定するだけならまだしも、がん発生率の増加は「過剰診断」が原因だという。実際には甲状腺がんの悪化が原因で手術をしなければならないケースが何例もあり、そのことが原因で清水一雄・福島県民健康調査検討委・甲状腺評価部会長が辞任する騒動まで過去には起きた。それでは記事を執筆した関口裕士記者に聞きたいが、見つける必要もないがんを過剰診断で多く見つけただけだと言うなら、彼らはなぜ手術をしたのか。よもや「そんな手術は必要なかったのに、彼らが誤診して勝手に手術しただけだ」というなら、医師法違反でなぜ彼らを訴えないのか。手術が必要だから執刀したのであり、手術が必要ながんを見つけたのが検査なのであれば、それは過剰検査ではない。関口くん、キミの言っていることは矛盾だらけであり、ふざけているだけである。

関口記者には以前、取材を受け名刺交換したことがある。個人携帯に電話して抗議したが「他のがんと甲状腺がんは違う」「必要のない検査、手術を受け首に一生の痕がつく不幸のほうが福島の子どもにとって良くないのだ」の一点張りで行く耳を持たない。その発言を聞いた瞬間、頭の中からブチッと言う音が聞こえ、「関口、お前、ふざけてんのか!」と電話口で怒鳴りつけた。

それどころか「あなたたちがそういう主張をするからかえって脱原発から遠ざかるんだ」というよもやの「脱原発運動敵視」発言まで飛び出した。電通の手先・開沼博と同じく「反・反原発」ヒーローとしての自分にコイツは酔っているんだろう。

「ああわかったよ、もういい。関口、お前は敵だ。徹底的に打倒し、潰してやるからな!」とお前呼ばわりで関口打倒を宣言し電話を終えた。実は、関口との会話の内容にかかわらず、北海道新聞の購読を打ち切ろうかという考えはオリパラの頃からあって、この間ずっと迷っていた。札幌が東京五輪のマラソン会場となったせいか、全国の地方紙で唯一、公式スポンサーになるほど堕落し、大会期間中はどこをめくってもオリパラ以外の記事はほとんど載っていなかった。「戦時中も、戦争とオリパラが違うだけでこんな紙面だったんだろうな」と恐怖を抱くほど、オリパラ期間中、それ以外は何も伝えなかった北海道新聞。それでもオリパラが終われば通常モードに戻るかもしれないから10月くらいまで様子を見ようと我慢して耐えてきたが、オリパラによって蹂躙された紙面に元の輝きが戻ってくることはついになかった。それどころか、オリパラ前は毎日のように載っていた寿都町・神恵内村での核のごみ誘致への動きですら、大会後はぱったり載らなくなった。

そろそろ道新のやめ時かな、と決意が固まりかけたタイミングで飛び出したこの記事で決意は完全に固まった。販売店にはすでに解約の電話をしてから関口との最後の闘いに臨んだ。関口との電話の後だと冷静さを保っていられるかわからず、何の罪もない販売店の人に八つ当たりして迷惑をかけてしまうかもしれないと思ったからだ。自慢ではないが、50年も生きていると、自分のことは自分が一番よく知っている。販売店に先に電話をしておいてから、関口との最後の闘いに臨むと決めた自分の考えが正しかったと、このとき思った。

北海道新聞の購読をやめた後、何に切り替えるかはかなり悩んだ。朝日、毎日は原発に関しては割といい報道を続けているが、中央の5大紙はすべて東京オリパラの公式スポンサーになっており、そんな新聞に切り替えるのでは道新をやめたことと整合性がつかない。悩んだあげく、これまで日曜版のみ購読していた「しんぶん赤旗」を日刊紙に切り替えることにした。

知り合いの日本共産党員に電話してそれを伝えると「嬉しいですね。今後ともよろしく」と言われた。九州の実家で、同じ町内会に献身的な共産党員がいて、両親が断り切れずに日曜版だけは購読していた時期があり、その存在は子供の頃から知ってはいたが、まさかこうして赤旗の日刊紙まで購読するようになる日が来るとは思わなかった。早速、届いた紙面を読んでみたが、まったく違和感がないことにも驚いた。

正直、公共交通や原発問題で何度も講演会をこなし、鉄道に関しては共著とはいえ自著まで出版するような立場になると、もう情報はあくせく集めに行かなくても各地の住民団体や市民を通じてメールでバンバン入ってくる。ナマの一次情報の提供を受けられる当ブログ管理人にとって、商業媒体が一般市民向けに「薄めた」二次情報なんてすでに必要ではないのである。もう商業新聞は要らないな、なくてもやっていけると確信した。これからしばらくは「赤旗」1本でやってみようと思っている。

半世紀も人生を続けているといろいろな出会い、別れがある。「論語」では50歳は「天命を知る」とされ、知命と呼ばれる。今回の一連の出会い、別れの中で、これが天命だと当ブログ管理人は思い知らされた。もう自分はいわゆる「一般市民」ではないのだろう。良くて「プロ市民」、場合によっては「活動家」と呼ばれても仕方がない位置にいる。初めは公共交通、鉄道に詳しいオタクとして市民運動周辺をうろちょろするだけだった自分が、ついに押し出されてここまで来たということだ。今さら運命に抗っても仕方がないと悟った。残る人生は活動家と自覚して生きることになろう。

この際だから告白してしまうが、当ブログ管理人はマルクス主義者である。鉄道再国有化の立場はこれまでもはっきり表明してきたが、電力、郵便、医療・福祉・介護、金融機関、主要製造業などの重要産業に至るまで社会的所有・経営形態の下に置くべきだと考えている。社会主義経済は資本主義経済より優れた経済体制であり、資本主義が人類を滅ぼす前に世界を救う道があるなら、それは社会主義以外にないと思っている。10月と言えばちょうどロシア革命の月でもある。どうしたら世界変革が実現するのか、今年の秋はじっくり考えてみたい。

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