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【福島原発事故刑事裁判第9回公判】法廷で態度が悪い酒井氏、これぞ無責任東電の象徴

2018-04-28 23:05:49 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。4月27日に行われた第9回公判の模様を伝える傍聴記について、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。執筆者は前回に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。次回、第10回公判は大型連休明けの5月8日(火)、第11回公判は翌5月9日(水)に行われる。

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第9回公判傍聴記 「切迫感は無かった」の虚しさ

 4月27日の第9回公判は、前回に引き続いて、津波評価を担当する本店原子力設備管理部土木グループ(2008年7月からは土木調査グループ)を統括していた酒井俊朗氏が証人だった。

 裁判官とこんなやりとりがあった。

裁判官「早急に対策を取らないといけない雰囲気ではなかったのか」
酒井「東海、東南海、南海地震のように切迫感のある公表内容ではなかったので、切迫感を持って考えていたわけではない」
裁判官「15.7mが現実的な数字と考えていたわけではないのか」
酒井「原子力の場合、普通は起こり得ないと思うような、あまりに保守的なことも考えさせられている。本当は、起きても15mも無いんじゃないかとも考えていた」

 高い津波は、切迫感がある現実的なものとは認識していなかった。だから罪はない、と主張しているように聞こえた。

 東電幹部が乗用車の運転をしていて、それによる事故の責任を問われているならばこの論理も説得力を持つだろう。しかし責任を問われているのは、原子力発電所の「安全運転」についてだ。事故の死者は交通事故の数万倍になる可能性もあり、東日本に人が住めなくなる事態さえ引き起こすのである。はるかに高い注意義務がある。

 そのため、普通は起こり得ないようなことまで想定することが原発の設計では国際的なルールになっている。具体的には、酒井氏が説明したように、10万年に1回しか大事故を引き起こさないように安全性を高めなければならない。

 数十年間の運転中に起きる確率は低いから、その津波に切迫性は無い。あるいは、これまで福島沖で発生したことは過去400年の文書には残っていないから現実感は無い。そんな程度では、高い津波にすぐに備えない理由にならないのだ。

◯地震本部の長期評価(2002)は根拠がない?

 相変わらず弁護側の宮村啓太弁護士の尋問の進め方はわかりやすかった。法廷のスクリーンで映し出すグラフの縦軸、横軸の読み方を丁寧に説明するなど、プレゼンテーションのツボがおさえられている。原発のリスクを示す指標である確率論的リスク評価(PRA)について、宮村弁護士の解き明かし方は、これまで聞いた中で一番わかりやすかった。PRAの専門家である酒井氏が「あなたの説明がよっぽどわかりやすい」と認めたほどだった。

 そのプレゼン術で、宮村弁護士は、地震本部の長期評価(2002)の信頼性は低いと印象づけようとしているように見えた。

宮村「長期評価をどうとらえたのですか」
酒井「ちょっと乱暴だと思いました。これは判断であって、根拠が無いと思っていました」

 言葉を変えながら、こんなやりとりが何度も繰り返された。

 そして、宮村弁護士と酒井氏が時間をかけて説明したのが、米国で行われている原子力のリスク評価の方法だ。法廷では、酒井氏が電力中央研究所でまとめた研究報告(注)が紹介された。

 酒井氏は、どんな地震が起きるか専門家の間で考え方が分かれている時は、専門家同士が共通のデータをもとに議論することが大切であると強調した。

 不思議なのは、酒井氏の研究報告が「長期評価の信頼性が低い」という弁護側主張と矛盾していることだ。長期評価(2002)は、文部科学省の事務局が集めた共通のデータをもとに専門家が議論して、地震の評価を決めている。酒井氏の推薦する方法そのものである。

 一方、東電が福島沖の津波について2008年に実施したのは、個々の専門家に、共通のデータを与えることなく、意見を聞いてまわる調査方法だった。「米国では問題があるとして使われなくなった」と酒井氏が証言した方法そのものである。

 酒井氏の証言には、こんな「あれっ」と思わされる論理のおかしさがあちこちに潜んでいた。

◯東北電力も高い津波を予測していた

 この日の公判で、東電や東北電力が事故後7年も隠していた新しい事実も明らかにされた。2008年3月5日に、東電、東北電力、日本原電などが参加して開かれた「津波バックチェックに関する打合せ」の議事記録である。

 これによると、東北電力の女川原発も、地震本部の長期評価(2002)の考え方に基づき、これまで発生した記録のない宮城県沖から福島県沖にまたがる領域でM8.5の津波地震を想定していた。東電だけでなく東北電力も、明治三陸沖地震(1896)のような津波地震が、もっと南で起きる可能性を検討していたのだ。この場合、女川原発での津波高さは22.79mの津波と計算されていた。

 長期評価によれば、女川(敷地高14.8m)も水没すると予測されていたのである。2008年3月時点では、東電は長期評価を取り込む方向で動いていたが、それに対して東北電力は難色を示した可能性がある。

完全に手詰まりだった

 「津波対策のため原子炉の運転を停止すべきであると考えたことはあるか」という質問に、酒井氏は「ありません」と言い切った。「何かしらの指示が出されれば止めて対策というのは、どこの国もしていない。運転中に評価をして対策を取るのがスタンダードだと今も思っている」と証言した。

 しかし、運転継続しながら対策を取るのは、「一定の安全性が保障されていること」が前提だ。それは酒井氏自身も認めた。

 耐震バックチェック(古い原発の安全性再確認)は2006年9月に開始され、揺れについての報告書(中間報告書)を、各電力会社が2008年3月に提出した。運転しながら確認作業は進められたが、旧来の想定を超えても、重要部分はすぐには壊れない余裕があることを電力会社はあらかじめ確かめていた。

 ところが津波は違う。古い想定に余裕はなかった。新想定が数cm高く見直されるだけで、その想定津波のもとでは非常用発電機など最重要設備が動かなくなる。それなのに運転しながら対策を進めることは、リスク管理上とても許容されることではない。

 事故の4日前、2011年3月7日、東電は保安院から津波対策を早急に進めるよう迫られていた。翌月には地震本部が貞観地震が再来する可能性について報告書を公開する手続きを進めており、地元自治体への説明も始めていた。

 「地震本部が予測する貞観地震に、原発は耐えられるのか」と地元から問われた時、困った事態に陥る。東北電力は安全性をすでに確かめ、2010年にはこっそり報告書をまとめていた。ところが福島第一は非常用発電機や原子炉を冷やすポンプが動かなくなる。それが露見したら、運転継続は難しくなる。

 もし、すぐには問題に気づかれなかったとしても、その先の見通しも暗かった。2016年までには津波対策を終える予定としていたが、その工法に目処は立っていなかったのだ。

 そんな八方塞がりのもと、東電は漫然と福島第一の運転を続けて、事故の日を迎えた。

 酒井氏は、福島第一を襲った大津波について「想定で考えているからといって、やっぱり来たかというより、びっくりしました」と述べた。

 大津波の4年前、東電の柏崎刈羽原発が震度7の直下地震に襲われたばかりだった。酒井氏は、その原因になった活断層評価もとりまとめていた。

 そして福島第一の津波である。これも自分が想定評価の責任者。自分が調査を担う東電の原発ばかりが、めったに起きないはずの地震に連続して襲われることは無かろうと、高をくくっていたのではないだろうか。

注)酒井俊朗「確率論的地震動ハザード評価の高度化に関する調査・分析―米国SSHACガイドラインの適用に向けて」2016年7月 電力中央研究所報告 調査報告:O15008

手足を組み、リラックスした様子で証言する酒井俊朗氏 絵:吉田千亜

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算288回目)でのスピーチ/福島でのモニタリングポスト撤去を許すな

2018-04-28 13:33:50 | 原発問題/一般
4月から札幌市に転居したことによって、毎週金曜日夕方6時半~7時半に北海道庁前で行われている反原発金曜行動に参加しやすくなった。今後はできる限り参加し、スピーチもしたいと思っている。また、スピーチをした場合は、その内容もできる限り当ブログに掲載することにする。

そういうわけで、昨日行われた通算288回目の道庁前行動での当ブログ管理人のスピーチを掲載する。

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今日は直前に行われた安倍首相やめろデモから引き続きご参加の方もいるようで、本当にお疲れさまです。さて、今日は福島県内で街頭に設置されている放射線量計、モニタリングポストが撤去されようとしている動きについて、皆さんに知っていただきたいと思います。

原子力規制委員会は、3月20日の会合で、福島県内の街頭に約3000台あるモニタリングポストのうち、避難区域外にあるもの、約2400台を2020年までに撤去することを決めました。いうまでもなく、2020年といえば東京五輪の年です。福島原発の汚染水について「アンダーコントロール」と豪語した安倍政権は、自分の言葉と反する、不都合なものはオリンピックまでにすべて痕跡を消し去りたいということなのでしょう。

なぜ、このようなことが決められたのかは、今年1月17日の更田(ふけた)豊志・原子力規制委員長の発言に示されています。更田委員長は、空間線量が年間ミリシーベルトの場所で生活している人にガラスバッチを付けてもらって個人の被曝線量を計測した結果では実際には7分の1だったので、「1マイクロシーベルト/時のところで居住してもミリシーベルト/年に達しないという感触で」、まずは空間線量と被曝線量との相関式を作り直すべきだと述べたのです。

記者からの質問に対して更田委員長は「根拠は実測値です」と答えています。福島県伊達市が実施したガラスバッジによる外部被曝線量測定を根拠にしているようですが、人は24時間ずっと外にいるわけではなく、1日の3分の2は屋内で過ごすので、ガラスバッジ測定ではどうしても外部被曝線量は低く計測されることになります。その測定結果に基づいて、外部被曝の線量基準を従来より緩めようと、要するに住民の被曝防護策も緩め、後退させようというのが国や県の一貫した政策と言えます。被曝からの住民防護策をできるだけ緩め、できるだけカネをかけないようにしたいと考えている国や県にとって、24時間ずっと外に立ち、24時間の外部線量を測定し続けるモニタリングポストの存在は都合が悪く、だからこそ撤去が打ち出されたのだと思います。そうとでも考えなければ、巨額の税金を投じて設置したモニタリングポストを、またカネをかけて撤去する理由がそもそもわかりません。

原発事故当初はあれほど声高に叫ばれていた除染さえ、今後は縮小していく方向性が打ち出されている。こうした福島県内の状況があります。住民の健康に重大な影響を与えるかもしれない、放射能汚染という「不都合な真実」と真摯に向き合い、根本的な対策を講じるのではなく「とりあえず目の前の臭いものに蓋をして、見ないようにしていればいい」というのが、原発事故に限らず、安倍政権が他の問題でもこの間、とり続けてきた姿勢で一貫しています。しかし、森友問題に見られるように、そうしたごまかしは必ず破たんする運命にありますし、そんなごまかしの中からは問題の解決も、まともな民主主義も生まれてくるわけがありません。いま問題になっている隠蔽、改ざん、ごまかし、はぐらかし、居直りという点は、原子力ムラのほうがずっと先輩で、森友など足下にも及びません。そもそも原子力基本法は、「平和・安全・民主」を原子力の目的と定めていますが、本当にこの3原則を厳格に適用するなら、原子力などしょせん滅びるしかない代物なのです。

もうひとつ、重要な事実を指摘しておきたいと思います。先ほど私は、更田規制委員長が「伊達市でのガラスバッチによる実測値」を基に線量基準の緩和を打ち出してきていると述べました。伊達市といえば、ICRPと住民が対話をする「ダイアログセミナー」をこの間、ずっと行ってきた自治体です。対話といえば聞こえがいいですが、要するに「楽しく笑っていれば放射能とも共存できる。楽しく福島で暮らしていきましょう」と住民を説得するためのセミナーです。主催しているのはICRP第4委員会委員長で、「放射能汚染地でも楽しく暮らせる」というICRP勧告(ICRP勧告111号「原子力事故又は放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」)を中心になってまとめた人物でもあるジャック・ロシャール氏です。いわばエートス運動の中心的役割を果たしてきた伊達市で、その中心にいた人物が主導して考え出した計測方法を根拠に、「今までの放射線防護策は厳しすぎるから緩めよう。それと矛盾する数値を示すものは全部、痕跡を消していこう」というのが、モニタリングポスト問題の中心的狙いなのです。そんなやり方が認められるでしょうか。

私は、事故以降2年間を福島県西郷村で過ごしました。私の地元にもモニタリングポストは立てられましたが、住民が真剣にその数字を見ていたのは事故後のせいぜい数ヶ月でしょう。半年過ぎる頃には、住民はモニタリングポストから目を背けるようになりました。1年も経つとその段階も過ぎ、周囲の風景にすっかり溶け込んで日常の一部と化したモニタリングポストの数字に目を向ける地元住民は誰もいなくなりました。「誰も見ていないなら外してもいいじゃないか」と思う方もいるかもしれません。しかし、目に見えない、音もしない、匂いも痛みも感じない、そんな放射能にここが汚染されているのだと可視化し、わからせてくれる唯一の存在がこのモニタリングポストなのです。もしこれが撤去されたら、これから生まれてくる子どもたちは、周囲に教えてくれる大人がいない限り、ここが放射能と折り合いをつけながら生きていかなければならない特別な場所なのだということを知らないまま、大人にならなければならないかもしれないのです。

幸いなのは、地元・福島で、モニタリングポストの撤去に反対して行動する人々がいることです。少ないながらも、地元であきらめずに行動をし続ける人がいるということも、今日は皆さんに知っていただきたいと思いました。今後、規制委への申し入れ交渉なども計画されるようです。ここに来ている皆さんだけでも、そうした人々を支えていただきたい、支援をしてほしいと最後にお願いを申し上げ、私の話を終わります。

JR郡山駅前のモニタリングポスト(2012年冬、当ブログ管理人撮影)

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