王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

劇団四季の創設者 浅利慶太氏 逝去 !!

2018-07-19 08:46:43 | 芸能
劇団四季の創設者、演出家の浅利慶太さんが死去

劇団四季の創設者で、演出家の浅利慶太氏が悪性リンパ腫のため13日亡くなっていた事が判りました。
85才との事ですが病死である事を考えると残念な最後でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。        合掌

演出家ときくとすでに亡くなっていますが「やたらと出演者を怒鳴りつけ」怒鳴られた人も「勉強になった」と尊敬の辞を捧げる変な人たちだなー??という感が浜爺にはあります。
最近でも女優さんが演出に携わり出演者がその「手法(やたら怒るらしい)」にあきれた降りてしまった例を知りました。人の頭の中は分かりませんから、それは「感情でなく情報としてうまく伝えなければ役者は演じられないでないの!!」と今でも疑問に思っています。

四季の「キャッツ」とか「ライオンキング」等の舞台に全く関係のない浜爺ですが浅利氏を師とたたえて哀悼の意を表す市村正親、鹿賀丈史や石丸幹二の諸氏が味わいのある言葉をっ伝えています。

恐らく浅利氏は会社経営に携わったとしても成功した企業家あるいは経営者としての感覚も鋭かっただろうと思いました。
演劇集団でいえば大手で常時100人ほどのメンバーを抱えて常設の舞台数カ所で後援しみんなを食わせてゆく力量はすごいものだと感服するばかりです。

病気にやられなければまだ悠々自適の数年があったかもしれませんが残念でした。
改めて哀悼の意を表します。              合掌


写真:2017年5月発病前のインタビューで

読売オンライン:
劇団四季の創設者で、演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが、13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため亡くなった。85歳だった。告別式は近親者で済ませ、後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻で女優の野村玲子(のむら・りょうこ、本名・浅利玲子)さん。

 東京都出身。父親は築地小劇場の創立に関わった俳優の浅利鶴雄、大叔父は歌舞伎俳優の二代目市川左団次という演劇に近い環境で育った。

 慶応大在学中の1953年に劇団四季を結成。当時主流だった新劇界の権威主義を批判し純粋に人を感動させる舞台芸術を目指して、フランスの劇作家アヌイやジロドゥの作品を連続上演。演出家としては、日本語の美しさを大事にした。また、全国の専用劇場で「キャッツ」「オペラ座の怪人」「ライオンキング」など、英米の人気ミュージカルの日本版の長期公演に成功。劇団四季を劇団員1000人以上を擁する日本を代表する劇団に育て上げ、日本にミュージカルを定着させた。
(引用終わり)
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