王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「比内鶏」社長 記者会見

2007-10-25 05:03:53 | 社会
「比内鶏」社長が初めて記者会見、自らの指示で偽装認める(読売新聞) - goo ニュース

昨日夜10時のTVニュースを見ていたら、「比内鶏」社の社長が現れて記者会見する様子を写した。窓の外の様子からすると日が暮れていた様でライヴ(生放送)でないにしても2-3時間前の映像らしい。
問題発覚以降連絡が取れないというからどんな人物か興味があった。
「藤原社長は76歳薄くなった白髪頭をオールバックにした冴えない高齢の老人であった」
本人が言うには「21日から(夫人と二人)県内の山や東京?を死のうとさ迷ったが死ねないので出てきた。」という事らしい。
死ぬ気で東京というのも腑に落ちない?
その後「比内地鶏の偽装に付き謝罪の言葉を口にしていた」

さてこの藤原社長であるが親会社の社長でもあるのだろうか? そのあたりの関係が分からない。
この「比内鶏」社も昭和60年(1985年)設立とされているが、地元の情報では「大館比内鳥」社が組織変更したらしい。この頃親会社に身売りしたか買収されたのでないか。
そこで既にこの頃には廃鶏で燻製他の商品を生産していたと思う。次に比内地鶏が組織的に研究され始めたのが昭和62年でありブランド規格が大分後の話、比内地鶏伝説(ブランドイメージ)が確立したのは何時なのであろうか?
藤原社長は「就任後1年位して廃鶏肉を使えと指示したのは私だ」と明言したが、同時に「前の社長、前の前の社長もやっていた」とも言っていた。
何をやっていたと言うのであろう? 当然廃鶏を比内鳥或いは比内地鶏と称した商法に思える。

ではもっと具体的に「比内地鶏の包装パックを作ったのは誰で何時であったろうか?」
藤原社長は「私が許可をしなければ包装パックの印刷費用は決済できない」という趣旨の発言をしたから10年前からは間違いない。

それではそれ以前には「比内地鶏の包装パックによる偽装は無かったか?」
これは会見では分からなかった。
少なくとも藤原社長は10年前から特に地鶏ブームに乗って経営を拡大させた。「利益が目的でない」と言い訳をした後「3億円(年商?)の内1.5億円も肉の売り上げが占めたら止められなくなった」と発言していた。
地元では前から比内地鶏の生産量に対し流通量の多い事が指摘されていたそうである(名古屋コーチン偽装と同じパターン)
秋田県では他の5件(の加工業者?)に立ち入りしたが問題は無かったと早々と宣言している。
本当にそうなのであろうか? 加工業者は5件だけなのか?
又廃鶏の硬さと比内地鶏の締まった肉質の食感が分からない消費者も随分お馬鹿である。インターネットで産地直売なんてやっていたら安全宣言するには早すぎる
秋田県も産地も早く終戦処理をしたかろうが、安易な押さえ込みは再燃する。

偽物天国と馬鹿にしてきた中国と中国商人であるが、中国人ばかりを笑ってはいられなくなってきた。
残念ながら日本の食品はすべからく疑って掛かるのが賢い消費者かも知れない。
もう少し関心を持って見て行きましょう。


読売新聞:
秋田県大館市の食肉加工・製造会社「比内鶏」が地元特産の比内地鶏を偽装した加工品を製造、販売していた問題で、行方不明になっていた同社の藤原誠一社長(76)が24日、問題発覚後初めて、同社で記者会見した。

 藤原社長は、同社が偽装した15種類の製品のうち10種類以上について、自らの指示で偽装したことを認め、陳謝した。

 そのうえで、偽装の動機について「比内地鶏の全国ブームに便乗し、商売を手広くしていきたいという事業欲から行った」と話した。社長職を辞任する意思はあるとしたが、時期についての明言は避けた。

 藤原社長によると、自身が偽装に関与し始めたのは、社長就任(1996年)の約1年後から。偽装はこれ以前から行われ、「前社長とその前の社長が中心となって行い、自分は黙認していた」と説明。「(社長就任後に)その流れを引き継いでしまった」と語った。(引用終わり)
コメント (4)
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