県知事選、玉城デニー氏が出馬のようだ



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県知事選、玉城デニー氏が出馬のようだ
 玉城デニー氏は翁長知事の使命「重く受け止める。支援者らと協議して返答したい」と話した。
デニー氏は名前から予想できるようにハーフである。デニーは本名と思っていたが違っていた。デニー氏は琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティやタレントをした時の芸名のようだ。デニーは人気が高く、私も彼のラジオ番組を聞いていた。彼の本名は玉城 康裕(たまき やすひろ)である。
玉城デニー氏の父は沖縄の米軍基地に駐留していた米兵だった。デニー氏が生まれる前に、父親はアメリカに帰国し、沖縄で母親の女手一つで育てられてたデニー氏は父親の顔を知らない。育ての親は「おっかー」と呼んでいた知花さんで、実の母親は、女手一つでテ゜ニー氏を養うため辺野古のバーで店の掃除など昼夜働いていたという。

人気の高い玉城氏はデニーの名前で2002年9月、沖縄市議会議員選挙に無所属で出馬し、トップ当選した。それから衆議員になるが、落選の経験もある。
デニー氏は民主党に所属している時に消費増税法案に反対し離党をした。自分の主張にプライドを持った一匹狼的な政治家である。

2014年の第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が推薦する「オール沖縄」の候補として生活の党公認で沖縄3区から出馬。日本共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党、緑の党そして基地の県内移設に反対して自民党を除名された「新風会」の支援を受け、自民党新人比嘉奈津美(比例九州ブロック復活当選)を破り、議席を取り戻した。

衆議員に復帰できたのは翁長知事のお蔭である。デニー氏にとって翁長知事恩人である。翁長知事が自分を使命したことに深く感動しただろうし、指名は非常に重いだろう。

デニー氏は最強の立候補者である。さすが選挙の天才翁長知事である。デニー氏を指名したテープを残したとは。

翁長知事に指名されたことを重く受け止めたデニー氏は知事選に勝てるか勝てないかは二の次にして出馬すると思う。デニー氏が所属する自由党の小沢一郎共同代表は玉城氏に出馬を促しているというから出馬は間違いないだろう。
落選する可能性が高いと忠告されてもデニー氏は出馬するだろう。それが彼のポリシーだから。

※補足
デニー氏は周辺に「翁長知事と同じような選挙態勢の状況がつくられることが条件だ」と語ったというか、それは無理だ。安慶田副知事を排除したために多くの事業家はオール沖縄から離脱した。オール沖縄はすでに分裂した。残っているのは金秀だけだろう。
左翼政党はオール沖縄復活を強調しているが、復活はしない。
オール沖縄を離脱した多くの事業家が安里氏支援に回ったという噂がある。安里氏支援の事業家は自民党支援になっていくだろう。


ウィキペディアに掲載している玉城デニー氏の経歴を紹介する。

沖縄県与那城村(現うるま市)生まれ。父は沖縄の米軍基地に駐留していた米兵。与那城村教育区立与那城小学校、勝連町立与勝第二中学校、沖縄県立前原高等学校、上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)卒業。琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティやタレントを経て、2002年9月、沖縄市議会議員選挙に無所属で出馬し、トップ当選。2005年8月、衆院選に出馬するため任期途中で市議を辞職。

2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙に、沖縄3区から民主党公認で出馬するも、落選。

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に、沖縄3区から民主党公認で再び出馬。自民党前職の嘉数知賢を破り、初当選した。民主党では沖縄県第3区総支部長、沖縄県総支部連合会副代表などを務めた。

2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して党広報副委員長の辞表を提出し、4月23日の党役員会で受理された。6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。同年7月11日、造反議員らを中心に国民の生活が第一が結党され、玉城もこれに参加した。なお、もうひとりの民主党沖縄県連所属国会議員である瑞慶覧長敏も同年に離党して無所属となり(その後落選)、これ以降県連は国会に議席を有していない。

同年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党の候補として沖縄3区から出馬、小選挙区では落選したが、比例九州ブロックで復活当選した。九州で唯一日本未来の党が獲得した議席である。同年末、未来の党の分党に伴い生活の党の結党に参加。

2014年の第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が推薦する「オール沖縄」の候補として生活の党公認で沖縄3区から出馬。日本共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党、緑の党そして基地の県内移設に反対して自民党を除名された「新風会」の支援を受け、自民党新人比嘉奈津美(比例九州ブロック復活当選)を破り、議席を取り戻した。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、党籍を残したまま無所属で出馬し、当選した。
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