富川副知事 翁長知事死去後も南米観光五日間

富川副知事 翁長知事死去後も南米観光五日間
8月8日に翁長知事が急逝した。その時に富川副知事は沖縄に居なかった。富川副知事は第一副知事であり、翁長知事が逝去すれば富川副知事が知事の代理をしなければならない。ところが富川副知事が沖縄に居ないので謝花副知事が職務代理者を務めた。
富川副知事が帰国したのは5日後の13日である。県政トップの翁長知事が急逝したというのに翁長知事の代わりの第一人者である富川副知事は5日観も沖縄に帰らなかったのである。なにがあっても早急に帰らなければならないのに5日間も帰らなかった。そんなに重要な任務が南米にあったのか。

富川副知事ら5人は県人移民110周年記念式典に向けて1日に那覇空港を出発した。2日にはブラジルを訪れ。その後アルゼンチンを訪れる予定であることを8日2日の沖縄タイムスで報道している。アルゼンチンを訪れた後にも他の南米の国々を訪ねたのだろう。

富川副知事は「沖縄へ強い思いを持っている南米の県系移民の方々と親睦を深めたい」と意気込んだ。
       沖縄タイムス
富川副知事は南米の県系移民の方々と親睦を深める交流を2日から翁長知事が急逝した8日までやっていた。8日間もやれば十分であるはずなのに富川知事は翁長知事が急逝したにも関わらずその後も交流を続けていたのである。交流といっても実際は観光に近い。

富川副知事は沖縄政治トップが急逝し、自分がトップに立たなければならない状況でありながら、沖縄の県政よりも南米観光を優先させたのである。

8日に亡くなった翁長雄志沖縄県知事の死去について、海外出張から帰国して初めて登庁した富川盛武副知事は13日、県庁で記者団の取材に応じ「大変衝撃だ」と語った。
        沖縄タイムス
翁長知事が死去した後も南米観光を続けた富川副知事が翁長知事の死去に「大変衝撃だ」というのは嘘くさい。大変衝撃なら観光を打ち切って翌日の9日に帰国していたはずだ。南米には5人行っている。富川副知事が一人が抜けても問題はなかったはずだ。直ちに帰国して謝花副知事と一緒に翁長知事に代わって県政に打ち込まなければならなかった富川副知事なのに5日間も南米観光を楽しんでいたのだ。富川副知事に副知事として資格があるか疑問である。

13日から知事の職務代理を務める富川氏は「今後についてはこれから会議で話す。出張から戻ったばかりで、情報が少なく軽々に話せない」と述べた。
       沖縄タイムス
南米にいる間、県からの情報をほとんど得ていなかったのだろうか。現代は通信が発達している時代である。詳しい情報は南米に居ても得ることができる。観光に浮かれて県政の情報に関心がなく、県との連絡を疎かにしたのだろうか。

翁長知事急逝後五日間も交流を理由に南米観光を楽しんでいたのが沖縄県の富川副知事である。
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[知事選9月30日]に決まり オール沖縄表と裏

[知事選9月30日]に決まり オール沖縄表と裏
翁長雄志知事の死去に伴う県知事選が9月13日の告示、9月30日に決まった。
知事選に勝つのは自民党かオール沖縄かがこれからマスコミや世間を賑わすだろう。しかし、第一に注視するべきは辺野古飛行場移設が実現するか否かである。
辺野古移設を容認している保守が当選すれば辺野古移設は確実である。問題は翁長知事のように辺野古移設に反対のオール沖縄が勝利した時である。果たして辺野古移設は阻止されるか・・・。結論を言うと阻止されないである。
辺野古移設に反対した立候補の県知事、衆議員の全員が当選したのに辺野古飛行場建設工事は着々と進み、埋め立て工事寸前まできたのである。沖縄の知事、県議会、国会議員が反対しても辺野古飛行場建設は着実に進んできたことを考えれば、9月30日の知事選で辺野古飛行場建設反対の立候補者が当選しても工事を阻止することができないことは現実的に明らかである。
辺野古飛行場建設は誰が知事になっても阻止することはできない。これが現実である。反対派の立候補者が知事になっても建設を政治的に左右することはできない。世間を騒がすだけの政治ではない政治を展開していくだけである。
辺野古移設の実現を望んでいる私は移設反対派が知事になるかならないかにはなんの心配もなく知事選を見ることができる。

自民党県連は自民党が支持する立候補者を当選させたいだろうし、共産党、社民党、社大党は左翼政党が支持する立候補者を当選させたいだろう。政権を握るということは県の利権を握ることであり、知事当選は政党にとって大きなメリットがある。

左翼政党が知事選に勝利する方法は、翁長知事の遺志を引き継いで辺野古移設阻止を選挙公約にすることである。それ以外に勝つ方法はない。
しかし、左翼政党だけの候補者では知事選には勝てない。左翼政党が知事選に勝利するためには保守と共闘する必要がある。4年前の県知事選では保守である翁長知事派と共闘したからこそ勝利した。保守と共闘しなければ勝利する可能性が低いのが今の左翼政党である。しかし、左翼政党は安倍政権と密接であった安慶田副知事を辞任に追いやり、保守派との亀裂を生じさせた。保守派との共闘復活は難しい状況になっている。
沖縄タイムスは、
「翁長知事の再選を前提に動いてきた県政与党の人選作業は告別式を終えた13日以降、本格化するという。翁長氏を誕生させた『オール沖縄』の枠組みでの擁立を模索するも、政党や労組、翁長氏を支持する企業関係者との具体的な調整はこれからだ」
と述べているが。翁長氏を支持する企業関係者の保守派の中心人物が安慶田氏であるから、調整は困難だろう。翁長知事が立候補すれば安慶田氏を中心とした保守派も支持したであろうが、翁長知事以外のしかも左翼の立候補者であるなら支持しないだろう。

「翁長の後任は翁長以外いない」と左翼与党が公言していた通りであり、翁長知事以外に翁長知事についてきた保守派と左翼政党を共闘させることができる者は居ない。

新基地建設断念を求める11日の県民大会に集まった人々が確認したのは「知事の遺志を受け継ぐ」ことだったと、翁長知事の死は翁長知事支持を高めたし、その流れに乗れば4年前の沖縄アイデンティティを復興させて左翼と保守の共闘で知事選に勝利する可能性はあるかも知れないが、安倍政権とは徹底して敵対している共産党が安倍政権との関係を復活させようとしている安慶田氏と共闘することはないだろう。
翁長知事の弔い合戦に打ってつけの存在が何十年も翁長知事の片腕として頑張ってきた安慶田元副知事である。彼が副知事であったなら、翁長知事の遺志を引き継ぐ立候補者として県民も認めただろう。しかし、彼は副知事を辞めて、県庁から去った。彼が知事選に立候補することはない。共産党が安慶田氏との関係を修復することはないだろう。安慶田氏は沖縄経済復興のために安倍政権との関係を修復して政府の交付金の増額を目指しているからだ。

翁長知事の急逝で表では辺野古移設反対派が知事選で圧勝するムードが盛り上がっているが、裏ではオール沖縄に結集していた左翼と保守が分裂してしまい、選挙戦の共闘が危ぶまれている。
翁長知事が存命していたら翁長知事が立候補できないとしても彼が推薦すれば保守も左翼も支持しただろうが、翁長知事は死去したので推薦することができない。翁長知事の死去は知事立候補の人選に大きく影響している。翁長知事の遺志を継ぐ左翼系立候補が圧勝する雰囲気であるが、裏では保守・左翼が共闘できないで混迷している。

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