Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

現代日本 長寿は幸せと言えるのか

2016-02-04 19:10:11 | 社会・経済
2016=平成28年2月も、拙ブログを宜しくお願い致します。お陰様で、気象については平穏な滑り出しの今月であります。

「半島」北部は、弾道ミサイルの発射準備が進んでいる様だ。毎回「人工衛星」などと言い訳をしているが、本当の目的は、衛星にせよミサイルにせよ軍事目的だろう。既に政府よりは自衛隊上部に対し、破壊措置命令が下されているが、我国への直接の脅威ともなりかねないだけに、当然の措置と心得る。核弾頭の装着も想定されていると言われ、世界の平和を脅かすものである事は厳然たる事実。我々は、これまで同様、こうした不穏な動きと厳しく対峙して行かなければならず、又、5月の伊勢志摩サミットを控え、その他の危険勢力への備えも怠れない。くれぐれも気を抜かず、切れ目のない対応をお願いしたいものだ。

それに引き替え国会はどうか。相も変わらぬ与党政治資金疑惑絡みの堂々巡り。野党勢力は、この問題には過敏な癖に、「半島」北部の脅威には頬かむりの黙秘だ。我国にとり、明らさまな脅威が迫っている時には、与野党は一致協力して難局に当たると言う、先進国では当たり前の態勢作りが我国ではできない。いや「我国だけができない」に陥っていやしないか。政治レベルの低さと共に、やはり民度の低さを思わざるを得ないのではないだろうか。今夏には18歳参政権が実現する運びと言うが、それ以前の政治・社会の教育がまともにできなければ意味がない。大体、民間報道(阿呆道である!)のトップ記事が芸能醜聞ではたかが知れている。昨日明らかになった、プロ野球巨人等に在籍した 清原和博元選手の覚醒剤所持使用容疑による逮捕劇は、当然重く見られるべきだが。

さて本題。本当に産業各界の品質や信頼性の低下が目立ち、本来は秀逸な日本品質の維持に暗雲が垂れ込める昨今だが、この事が前述の清原元選手の不祥事などと相まって、子供達や若者達の未来への夢や希望を蝕み、諸々の犯罪や非行へと走らせているのは遺憾な事に事実。
今日も裁判が行われた、首都圏の男子中学生殺人も、そうした状況下で起きたものだ。犯人グループの厳正な処分は勿論、背景となった戦後教育の不良も、厳しく糾されなければならない。

若い世代の失望感は、形こそ違え、厳しい現役活動を終えた高齢世代も似た様なものがあろう。公的年金だけでは食生活にも事欠く方々多数。高齢者向けの各種活動も、必ずしも充実したものではなく、医療も手厚いとは言えない。最近とみに増えた、自己判断のできない認知症有病者の対策をどうするかの具体的動きも見えない。既に単身独居の方々も多く、家族親族の介護だけでは到底手に負えない所まで来ている。

去年の今頃は、拙母が前年来の負傷の為入院していて、週一度は見舞いに参ったものだが、病棟を訪ねて愕然とした記憶がある。
数十人とも思われる入院患者中、終日起き上がる事さえ叶わない方多数。恐らくは、全体の半分近くに上ったのではないだろうか。杖、歩行器、車椅子などで出歩ける方はまだマシな方。この状況は、他の各病院でも大差ないと思われ、果たして平均寿命の延びだけで、本当に人は幸せなのかと首を傾げてしまったものだ。

戸外へ出、街や郊外を歩いてみても、近頃はどうも、認知症を患っているのでは?とも思われる、高齢の方々が少しずつだが増えている様に見受けられる。こうした向きが、先日も裁判沙汰のあった、大きな鉄道事故などの当事者となってしまうのである。認知症運転者による深刻な交通事故も散見される。少し前の、JR宮崎駅近くの犠牲を生じた惨劇が好例だ。こうした症状を持つ各位は、家族だけで介護支援をするには限界があろう。

良く言われる、地域や社会で支援をする態勢を築くのがまずは大切だが、とに角可能な範囲で無理なく進めるのも又大事。報道(実は阿呆道)が何かにつけて持ち上げる、北欧モデルの様な、極めて手厚い社会福祉はそれは理想的だろうが、その為には財源となる消費税を最低でも標準30%、食品などの軽減税率も10%超とせざるを得ないであろう。我国社会が、その様な高負担に耐えられるとは到底思えない。又、フランス国の高水準福祉も良く引き合いに出されるが、それは同国が紛争国への武器輸出や原子力技術供与などで稼いでいるからできるのだ。阿呆道共は、そうした所を正確に我国民市民に伝えようとはしない。どう言う了見か。とに角、今までが家族の繋がりの中で高齢者の支援も行って来れたものが、時代の急激な変化で不可能となっている。少子化が将来共解消しない以上、昔に戻す事は無理。我国独自の無理のない中福祉中負担で、とりあえず来春予定の消費税標準10%への上方改定にも、国民的理解を要するであろう。

もう一つは、意味のない長寿を見直す価値観の転換だろう。医療機関は自身の利益になる事もあって、決して有益とは言えない延命医療に狂奔して来た所があるが、もうそれも曲がり角。生前遺言リヴィング・ウィルや自分の死に備えるデス・ノートなどで生前の内に、無益な延命医療を拒む選択もできよう。そうした手法が、国民的選択として認知されるべきなのである。俺ももう後半生。親がまだ元気な内に、デス・ノートを起こした方が良いと思っている所。
作家 三浦朱門さんは「老いれば自由に死ねばよいのだ」と言う著作をお持ちの様だ。舌禍も幾度かある同氏だが、この姿勢には賛成だ。
老いも若きも、自らの人生を自ら描けてこその幸せと言うものではないのか。

今回画像は、今年初、当地名古屋の東部にある公園脇を行く、JR中央線の模様。列車を見ると過敏な反応をするワン君が、飼い主様を振り切って競走を挑んでいるのが笑えます。

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2 コメント

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Unknown (ココ)
2016-02-07 21:01:26
私もつい最近 施設に入られている方に会いに行き
その姿を見て、自分のこれからと重ね合わせ
いろいろ考えさせられました。
ただ・・・いくら考えても、どうなるか、解らない先のことを思い悩んでいると
逆に気分が滅入りそうになり まぁ~~いくら考えてもなるようにしかならない
な~~んていう結論に達しました。
私自身の老後の前にまだ母親のこれからがあるんですもの・・・
今、84歳!さぁ~~これからどうなっていくんでしょう??  
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お言葉通りです! (HAKASE(jnkt32))
2016-02-08 09:03:28
ココSAN、今回もご見解を有難うございます。
本当に、これからは老いを考えなければならない自分の
事は、正直頭が痛いです。最期まで健常かどうかは分りませんから。
ただ、仰る様に、それも親達の事を見届けてからってのは
拙方も同じです。共に80代半ばでして、まずはその事の見通しがついてからになりそう。
まずは、お礼まで。
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