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Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

外務文書公開 改めて露と旧ソの不良姿勢が分った

2022-12-21 15:42:37 | 国際・政治

日本銀行が長らく行ってきた 大いなる金融緩和方針が遂にというか、ようやくというか 一つの転換点を迎えた様だ。方針の一部を修正、長期金利の年 0.25%幅を 0.5%まで認めるのが骨子の模様。拙者 専門経済の事はよく分からず恐縮だが、我国も今後へ向け 所謂利上げの可能性に含みを残す姿勢に舵を切ったのかも知れない。

市場の反応も早く、これまでより対ドルで 5円超の為替高となり、逆に日経平均株価は 500円超のダウンとなった様だ。まぁ今までの円安がやや行き過ぎた感もあったものだが、左派容共側は相変わらず「遅過ぎる。アベノミクスの罪過だ」などと騒ぎ立てている様子。

全く「死者に鞭を打つ」とはこの事だろう。欧米の趨勢が利上げ志向だからこの様な言動があるのだろうが、彼の地はインフレの進行も深刻なのだ。物価高が辛苦は理解するが、欧米レベルでない以上 利上げに慎重を期すべきも又事実。決して芳しい評価とは参らない日銀政策だが、安易に旧安倍政権のせいにするのは こちらも神経を疑わざるを得ないという所だ。そんな事より 金融見直しの動きを捉え、より声高に各界の賃上げでも叫んだ方が、余程気が利いていると愚考する者だが。

本題です。1990年代・平成初期の外務省外交文書の一部が公開され、当時の旧ソ連邦とのやり取りが明かになった所がある。当時の海部(かいふ)元総理とゴルバチョフ元露大統領による 北方四島などの扱いも見る事ができる様だが、我々側にとっては当時も楽観できる内容ではなかった様だ。以下 今日の時事通信ネット記事を引用して、みて参ろうと思う。

「海部(元)首相、(19)56年宣言の明記迫る=91年日ソ会談『歴史の事実認めよ』ーゴルバチョフ氏拒否・外交文書」

外務省は 12/21、1991(平成 3)年頃の外交文書ファイル 19冊を公開した。同年の日ソ首脳会談と共同声明に関する記録も含まれ、海部俊樹首相が 平和条約締結後の歯舞(はぼまい)諸島と色丹(しこたん)島の引き渡しを明記した 1956(昭和 31)年の日ソ共同宣言を 共同声明に盛り込むよう何度も迫ったのに対し、ゴルバチョフ大統領が拒み続けたやりとりが明かになった。(国名、両首脳の肩書は当時のもの)

ゴルバチョフ氏は 91年 4月、旧ソ連最高指導者として初めて来日。6回のトップ会談を経て、両首脳は国後(くなしり)、択捉(えとろふ)両島を含む 北方四島の名前を列挙した共同声明に署名した。旧ソ連は「領土問題は存在しない」との立場を貫いてきたが、共同声明は「領土画定問題」の表現で、北方四島が交渉対象になることを初めて文書に記した。一方 56年宣言は明記されなかった。

日本政府は (1)四島が交渉対象だと確認する (2)56年宣言の有効性を認めさせるー方針で臨んだ。4/16の第 1回会談で、海部氏は国後・択捉に対する日本の主権を認めて四島を返還するよう要求。翌日に少人数で行った第 3回会談では「国際法の規範を守る『新思考外交』を標榜する貴国の立場からしても、共同宣言が歴史の事実として存在している点は認められるべきだ」と迫った。

4/18の第 4回会談でも 海部氏は 56年宣言を「どうしても記したい」「事実として記載しよう」と食い下がったが、ゴルバチョフ氏は同意せず、宣言を巡る議論は難航。3回の予定だったが 会談は最終的に 6回に及んだ。宣言明記を拒むゴルバチョフ氏の主張は 今回公開された会談録でも黒塗りだが、応酬の中には「100gのレモンから 110gのジュースを絞ろうとしている」と皮肉ったり、批判を展開したりする場面があった。(引用ここまで、一部補足)

前述会談につき、海部元総理の苦闘は理解する。何事にまれ、旧ソを含め 対露交渉は至難とされ、外交技術レベルも至高のそれが強く求められるのだろう。しかし それを踏まえるとしても、旧帝政期・旧ソ期を含め、露の領土拡張への異常なまでの執着が垣間見える記録でもあると思う。

プーチン現露政権による対ウクライナ侵略問題でもそうだが、ゴルバチョフ元大統領も 程度や温度こそ違え 結局は「大ロシア主義」の信者だったのであろう。そこから「収奪した土地は露の領土」なる、我々日本人には理解し得ない意識が続いてきたのだろう。つまり「一度奪った土地は返さじ」というそれだ。

事は先の大戦終結時に遡るのだが、北方四島ばかりでなく 露には北海道北部・現留萌(るもい)市と釧路市を結ぶ線以北の割譲が 旧連合国間で交わされた「ヤルタ密約」によって認められていたとされる様だ。我国の「終戦の日」8/15より後に、旧ソ連軍は北方四島に侵攻したとされる。旧日本軍現地守備隊は「正当防衛の行使」を慎重に認知の上 防戦に出るも破られ、1945=昭和 20年 9/5に不法占拠が果たされてしまう。この事実を、我々はくれぐれも重く把握すべきだろう。

北海道北部割譲は、トルーマン米政権(当時)の動きもあって実行されなかったが、露は旧ソ期を通じ 対北海道侵攻の意図を捨てていないとされる。旧国鉄が JR各社に移行直後開通の、青函トンネルに最も不興を抱いたのは旧ソ連だとされるし、今世紀に入っての 2011=平成 23年春の東日本大震災発生に際し 被災地上空近くに偵察機をいち早く差し向けたのも露の有名な話の様だ。「大ロシア主義は、我国北方侵略意図を捨ててはいない」と言っても良いのではないか。

だからと言って、北方四島の我国主権を諦めてはならないのも事実だろう。年月はかかっても「声を上げ続ける」事はやはり大事なのだ。今度は、丁度岸田現政権が取り組もうとしている 抑止力の強さを活かした外交戦略を打てるかも知れない。海部元総理が力尽きたのは、やはり「抑止力の後ろ盾なき外交」の弱さもあったのではないか。ウクライナ危機を煽るプーチン露現政権が、対日外交交渉を当面打ち切った以上「話にならない」状況が続こうが、時期が来ればすかさず声を上げる心構え位はしておくべきと心得る。

その前に、北鮮の起こした 多くの日本人拉致事件解決に道筋をつけるのが先であるのも事実だが。そういえば、中・露・朝の各国は 対日サイバー攻撃も頻繁に行っているらしい。周辺の軍事脅威に対応した防衛力積み増しもそれは必要だろうが、戦争の形は次第に一見しては分からないものに変容している所もある様だ。ネット時代ならではのサイバー防衛面も、我国は立ち遅れているとされる。岸田政権には、そちらのテコ入れも忘れて頂いては困るのだ。今回画像も振り返り恐縮。先年訪れた新潟・山形両県境に近い景勝地「笹川流れ」近くの様子を。通る線路は JR羽越本線。

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