2019=平成最後の 4月も、拙ブログを宜しくお願い致します。本日は、かねて伝えられていた 来月からの今上陛下ご退位に伴う次代元号が遂に発表され、拙者も静かな感動に浸っている所。新元号は「令和(れいわ)」と称される。
新元号の文書上の根拠に当たる典拠は、これまでの中国大陸の古典から一転、憲政史上初めて我国の古典「万葉集」による事となった。これは、戦後一貫して我国の保守勢力の悲願だったとか。国民多数の支持と理解の下での大願成就、まずは良かったではないか。
万葉集中の、梅の花の歌の序文「初春令月 気淑風和」からとの由。「令」の字の元号採用も初だとか。この「令月」とは「何をするにも良い月」の事で、決して命令や法令を指すものではない事にも注意したいものだ。「和」は勿論、平和や人の和を指すものとの理解で間違いなさそうだ。
内外に 難しい課題を多く抱える今の我国だが、安倍総理大臣の談話にもあった様に「国民多数が希望を持って進める様な意味を持たせる」意図が長く感じられる様な状況を作り出したいもの。元号は その成り立ちに関する法規定はあるも、全国民に使用を強制するものではない。元号法規定の優れた所でもあろう。むしろそうする事で、長らくの固有文化として敬愛される事にもなるだろうから。
国や自治体、企業多数の諸々の文書や表記にも、元号で表されるものは多い。確かに手間やコストもそれなりだろうが、この文化は今日一日を振り返っても 国民多数に支持されているのは明らかだ。一部左派野党勢力に「令」は命令のそれなどとの曲解が横行しているらしいが、勿論間違い。そうした不良な主張を真に受けない心がけも、教養としては必要という事だろう。
ある報道は「元号は時代を区切り、その時代を生きる日本人の心理に深く根を下ろすもの」として紹介していた。これまでの新聞や TVなどのメディアにおいて 最もまともで健全な捉え方であり、こういう記事なら拙者も尊重するものだ。因みに「あの」朝日新聞勢力の視点は やはり芳しいものではないらしい。「令和」は、学ぶべきと忌むべきを己の知性できちんと峻別すべき時代となるかも知れない。今回画像は、先年の初夏 当地愛知西部・名古屋西郊外に位置する、惜しくも選外となった今回の元号候補の一つになったらしい「永和」という JR駅にての様子。通る列車は、三重県下を発って長野県下へ向かう燃料専用便。丁度猛暑に備え、地道な線路の点検に臨む 技術の方々の真摯な取り組み姿勢は 忘れられない光景です。