Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

2011=平成23年5月回顧

2011-05-29 12:12:00 | インポート
午後になってしまいましたが、各位お早うこざいます。ここの所の雨がちの気候もあってか、当地東海も例年より随分早目の入梅となりました。
これも早目の台風が本土近くを通過見込みとあって、徐々に風雨が強まっている所。ある程度の雨風はこの時期仕方がないとしても、梅雨明け後の猛暑は勘弁して欲しい本音もありますね。今夏は、東日本大震災に伴う福島県下の原子力発電所事故のあおりもあって、全国的な電力不足が見込まれており、可能なら多くの電力を要する空調機器などの使用を抑えて参りたい所ですから。

私事にては、先日来拙父の体調が優れず、医師の方の勧めもあって入院中。この後見舞いに参る予定です。
こちらも、続く来月に向け、早い回復を祈りたい所ではありますね。

ここの所は、しばしば東日本大震災に関する記事を綴って参りましたが、文献をご紹介しての長い記事は、一区切りにしようかなとも思います。ただ、原子力発電所事故の解析途上にての、政府と電力会社との事故対応を巡る見解の相違も露見して、まだまだ注視監視が必要なレベルであるのも事実。必要に応じ、又取り上げたく思います。

今回の続編は拙ブログ「トイレの雑記帳」に記しました。かなり長いですが、下記アドレスよりご一読を下されば幸いであります。今月の拙日記は、以上です。*(日本)*
http://nanaseko.blog.ocn.ne.jp/bloghakase32/
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2011=平成23年5月回顧

2011-05-29 08:30:26 | 社会・経済

各位お早うございます。全国的にもそうだろうが、当地東海も例年よりかなり早く梅雨に突入。鬱陶しい雨がちの時季が前倒しされた格好だが、それは同時に夏がやって来る事の事前サインでもあるだろう。ただ、今は朝晩はまだかなり気温が低く、空調除湿が不要であるのは良いが、気候が引き続き何かおかしくなっているのも事実。(私事恐縮だが)先日来、拙父が体調を崩して入院中で、この後見舞いに行って参る予定だが、その事と共に必ずしも喜ばしくないのも事実だろう。

さて、今春は折々、未曾有の災禍となった東日本大震災についてのコメントを記して参ったが、文献資料などを引用しての詳しい言及は今回にて一区切りとし、これからは必要の都度取り上げて参りたく思います。東京電力・福島第一発電所事故につき、事故原子炉の対処などを巡って、政府側と会社側の見解の相違などが表面化する遺憾な事態も露呈しており、まだまだ我々国民市民はその推移を注視して行かなければならないのではないだろうか。

以下、かなり長いが、今回は先日の全国紙S新聞に寄せられた外交評論家 岡本 行夫さんの特別寄稿記事を拝見しながら、震災後の事を少し考えてみたく思います。

「大震災に寄せて」

①「政府は安易に権力行使するな」

東北の地には、今なお巨大な無の空間が広がる。暖かい家庭も、賑わった商店も、大声の飛び交った魚市場も、もはや無い。家屋が、集落が、町全体が、海に流出した。三陸に、破壊され尽くした海岸線が続く。

被災者は、あらゆるものを失い、借金だけが残った。風の冷たさは緩んだが、間もなく冷房も風呂もない夏が来る。瓦礫に混じって臭気もひどくなるだろう。季節ごとの厳しさを人工的に緩和する手立てが破壊されたまま、多くの高齢者が健康の危機に立たされる。

福島には別の惨禍が襲い、8万の人々が生活を失った。(事故を生じた東京電力{以下東電}による)希望的な「工程表」は出たが、住民の帰宅見通しは不透明だ。燃料溶融や大量の汚染水がある中で、原子炉の破損個所の特定と修理は至難だ。祈る思いで現場の作業を見守るしかないが、長い時間がかかるだろう。1基だけの事故で、しかも冷却機能が無事だった(米合衆国)スリー・マイル島事故の場合でも、始末がつくまで10年以上かかった。政府は東電を責めるだけでなく、当事者意識をもって、戦後最大の危機に対応してもらいたい。全ては国の指導の下で行われて来たのだから。

(「自分が決定」意識過剰)

ある自動車メーカーの社員達は、震災発生2日後に支援物資を集めてトラックに積んだ。東北自動車道の通行許可を警察にもらいに行ったが不許可。それでも社長は「あきらめるな」と社員達を督励し、トラックは許可が得られないまま、東北自動車道の料金所へ向かった。何が起こったか?理由を聞いた料金所の係員達は、ゲートを開けてくれたのだ。「早く、その物資を東北に届けてあげて下さい!」と。

メーカー社員と料金所係員の対応は胸を打つ。一方、政府はその後数日間、頑なに東北自動車道に緊急車両以外の通行を認めなかった。ガソリン輸送のタンク・ローリー車さえ通さず、パニックに陥った被災者は給油待ちの長い列を作った。その時に同自動車道を通った関係者の言。「道路は空っぽで、時折、緊急車両に会うだけでした」と。政府は、震災直後の決定的時期に、大した考えもなく東北への大動脈を閉鎖したのだ。

このエピソードは多くの意味を持つ。要するに、今の政府は安直に命令を出し過ぎるのだ。「自分達が全てを決定する」と言う意識が過剰なのではないか。内閣総理大臣も同官房長官も、学生時代から反体制の側に居た。反体制の人々は「権力を奪取して正しく行使する」事を目標とする。

念願の権力を得て、一挙手一投足が注目され、一声で国が動くようになった。しかし、権力には責任が伴う。過去のどの年よりも緊急問題が山積していると言うのに、国会は延長しないと言う。野党に追及の場を与えないためだろうが、国への責任はどうなるのか。

②「遠い夢の前に 近い現実を」 (思いつき政治の弊害)

今の政権は「政治主導」を言い募り、官僚の専門知識と経験を排し、小人数で思いつくままに国政を動かして来ていないか。福島原発の処理もそうだ。菅首相は、原発事故発生と同時に母校のOB名簿を繰って原子力学者を身の回りに集め、今や14名もの内閣参与が任命されている。使用済み核燃料プールを冷却するために、先ず自衛隊のヘリコプターから少量の水を散布し、次にデモ鎮圧用の警察放水車、次に自衛隊放水車、次に商業用コンクリート圧送車と、効果の少ない順番に思いつきのように出動させ、冷却に数日の遅れを生じさせた。この間、使用済み核燃料が露出し、放射線が大量に外に出た。全てを自分自身でやろうとするからだ。

思いつき政治で、既に沖縄・普天間基地の移設は不可能になった。一方的にインド洋での海上自衛隊の給油活動をやめ、代償としてアフガニスタンに4000憶円の巨費を支出する破目になった。実現可能性も検証せずに「2020=平成32年までの温室効果ガス25%削減」を発表するスタンド・プレーもやった。そして、唐突な浜岡原子力発電所の停止。当事者である中部電力の意見も聞かずに先ず国民向けに記者会見する。その手法は人気取りである。決定理由は今後30年内に87%の確率でM8級の大地震が来るからと。確立だけで政策を作るのは無茶だ。ならば、今回のM9大地震発生の確率はどう予測されていたのか。確立論によって、原子炉を止めない津波対策の道は最初から排除された。そして内閣総理大臣の「大地震確実宣言」で、世界の観光客は危険な日本を避けるようになる。権力を安易に使い過ぎる。

(自衛隊と米軍に感謝)

被災地の人々が無条件に感謝するのは自衛隊と米合衆国軍だ。被災地での彼らの貢献は圧倒的だ。その自衛隊を我々は不当に軽んじて来た。今世紀に入って新たな脅威に対し全ての主要国が国防予算を大幅に増額している。しかし日本の防衛予算だけは逆に減額されている。防衛予算の国民負担は、今や国内総生産GDP対比で世界の140位以下。国を守る自衛官は僅か23万人で、警察官の数より少ない。先進国では珍しい。小泉改革までは郵政公務員が27万人もいた。その僅かな自衛隊員の中から10万人が被災地に派遣されているのだ。

米合衆国は、多数の兵員と艦船をもって、歴史的規模の支援をしてくれた。泥だらけになって働く現場で、米軍兵士達は「家族を助けるのと同じ気持ちです」と言った。

民主党政権は「日本は、今までややもすると米合衆国に依存し過ぎていた」(鳩山前首相の胡 中華人民共和国主席他への言明)と中国(大陸)へ傾斜した。しかし、誰が真の友人なのか。1万6千人の兵員を動員し、今なお東北を助ける米合衆国なのか。15人の援助隊を1週間派遣して来ただけで、その後も日本への偵察飛行を繰り返す中国(大陸)なのか。無論、同国の援助チームにケチをつけてはいけない。感謝しよう。世界中の国が日本を助けてくれた。大震災は、日本が世界で一人ではない事を教えてくれた。それなのに、である。政府は復興財源として政府開発援助ODAを1000憶円以上減らす事を決めた。自由民主党の反対で削減幅は半分になったが、財源論議の前に先ずODA削減を宣明し、世界からの恩を仇で返そうと言う発想は改めて欲しい。

(被災地で異なる復興のかたち)

被災地の復旧は、日本の最優先事項だ。「復興構想会議」に期待が集まる。大学教授、建築家、脚本家、住職。錚々たる人々だ。立派な構想を示してくれるだろう。課題はスピードだ。遠い夢の前に、緊急に取り組むべき現実がある。阪神・淡路大震災では、神戸の113本の岸壁が壊滅した。指揮にあたった当時の第3港湾建設局長は、全てを2年間で修復してしまった。(最初の)1ヵ月で復興計画を作り、資材や技術者が1ヵ所に集中しないように個々の岸壁修復の工法と進行時期を変え、夜を日に継ぐ突貫工事をやったのだ。現場の官僚達に任されたから、このような離れ業ができた。

復興の態様は、個々の被災地によって異なる。画一的な計画では律せない。「住宅地域は高台に」と言っても、背後には急な山しかなかったり、高台の莫大な社会資本インフラ・ストラクチュア作りが実際的でない町もある。堤防再建にしても、より大きな築堤に適した所もあれば、「堤防は高潮だけを防げれば良い。その代わり津波に対して逃げ足の速い町を」と考えている町もある。個別事情への配慮が大事だ。隣の町と一緒の統合計画も有用かも知れない。全滅に近い陸前高田市は隣の大船渡市と、と言うふうに。会議の委員は何度も現地に足を運んで欲しい。

(漁業への緊急支援)

重要なのは産業の復旧、特に漁業だ。被災地は全て海岸沿いにあるから、町の経済の5割以上が水産関連の所も多い。それが壊滅した。なのに支援はまだ始まらない。「まず中央で全体の復興計画を作ってから」と言う姿勢では間に合わない。第1次補正予算の執行に時間をかけないで欲しい。南三陸町では、(民間の)NGOながら1憶5千万円もの資金を準備して、漁場の瓦礫撤去などを既に始めた団体もある。大事なのはスピードだ。三陸には漁期がある。6月の鰹、8月後半の秋刀魚、秋の鮭。漁期を逸すれば、収入は来年の秋までない。「早く計画を示してくれ」とあちこちで悲痛な声が上がっている。今は、まだ関係者に気概が残っている。だが、あてのない無収入状態が続けば、家族を抱えた30代、40代の漁師は絶望して海を去ってしまう。そうなれば、三陸沿岸の経済復興はできなくなる。

行政は応急手当を考えて欲しい。三陸には、海にいて難を免れた漁船も少なくないし、他県籍の漁船も入港して水揚げする。拠点漁港を幾つか決めて、応急修理して欲しい。神戸岸壁を超スピードで修復した人々の知恵も借りたら良い。冷凍冷蔵施設は、民間の支援を得て臨時に冷凍コンテナを使えば良い。1本500万円も出せば、冷凍機能も付けられそうだ。早く男達を海に送り出そう。決意をもって臨めば、6月中に一部の漁は再開できる。日本はこんな事もできない国家ではない(はずだ)。

(素晴らしき日本人の能力)

日本人の資質は素晴らしい。国の指導者は頼りなくても、現場の人々の対応能力は高い。行動も早い。被災地で瓦礫撤去が確実に進行しているのは、作業が現場に任されているからだ。世界中のどこも真似のできないスピードで進んでいる。

無数の感動的な人々がいる。福島原発の作業員、工場が損壊した民間企業、東北新幹線を49日で開通させた人達、被災地の市長・町長、漁業関係者、商工業者。「役に立てて嬉しいです」と顔を紅潮させる自衛隊員。すべてを失っても他人を思いやる被災者達。そして、全国から集まった延べ20万人超のボランティア達。若い人々に脱帽したい。彼らは、寒い屋外のテントに泊まり、献身的に働いている。そうした人々が、日本をここまで押し上げて来た。

日本の産業も現場が支える。一旦方向が定まれば、物凄いパワーが発揮される。だから新しい目標を早く作ろう。例えば原発停止によって深刻になるエネルギー不足。火力発電増強や新エネルギー創出の他に、電力を貯蔵してピーク需要に対応する技術が大切になる。「エネルギー貯蔵」は21世紀産業革命の大きなテーマだ。この分野で日本が世界を主導するのは不可能ではない。

(日本に必要な開放化)

福島原発事故の直後、米合衆国は原子炉冷却装置の提供を申し入れて来た。しかし日本は断った。政府部内の会議では「受け入れれば同国にデータを盗られてしまう」との意見が出たと言う。昨夏、チリ国の同鉱山で地下630mの坑道が落盤し、33人が閉じ込められた。同国は鉱山技術で世界のトップレベルにあるが、それでもピニェラ大統領は世界中に知恵と支援を求め、3つの国際支援チームが組成された。これらのチームが競うように作業し、最終的に米・チリ合同チームが鉱山会社員達を救出したのである。

我々は、他国の実力に謙虚でなければならない。原子力にしても、大きな技術は米合衆国が先導している。日本は地力解決にこだわって、世界からの支援を受け入れるのが遅過ぎた。

           「開放系でない社会は、落伍する」

東西冷戦が崩壊してから、世界では「多様性」を包摂できる国が伸びて来た。世界中の異なった思考方法、文化、得意技、知識を集めた国や企業が国際競争を勝ち抜いている。グローバル化、IT化時代には、多様な資質の「ええとこ取り」できる所が強いのだ。

日本は、これまで高い平均値の同質民族国家である事を誇って来た。一旦マニュアルが作られれば、その実行能力は世界一である。しかしマニュアルに書かれていない事態への対応能力は高くない。それを補うためにも、世界の才能と多様性を受け入れるべきなのだ。そして、今度こそ世界から称えられる国家になろう。大震災後の新しい航海に出なければならない日本の大きな課題である。

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡本先生のこの記事を拝読しても、東日本大震災の復興が決して容易なものではない事が、アホな俺にも少しは分る。ただ、最近の報道にても紹介されている様に、被災地の各位の、復興へ向けた決意熱意は強く持続されており、見守る我々にとっても喜ばしい所だ。ようやく全国、いや全世界より集められた義援金の配分も始まったとかで、物的、人的な支援と共に、一歩一歩を大切に、間接的にでも我々は協力して参りたい。

又、過日も申したが、近い将来大地震に見舞われる懸念ある我々東海の住人にとり、此度の震災より学ぶべき所は大変多い。詳しく申すのは又後日にしますが、不運にも被災した方々の生き様や処し方より、我々は「支援と学習」を以て応えられれば、と思う次第であります。

今月の拙ブログは以上。ラタ、マイ月・・。

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