Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

三重のJR列車暴走事件再発に思う事

2009-04-22 00:34:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

当地名古屋はつい先程、機能よりの風雨が収まった様です。次の降雨は週末の予報。できればどちらか一日でも降らないで欲しいと言うのは虫の良い願いでしょうか?

さて、この度拙趣味の鉄道交通の世界にて、明暗2題がありました。
一つは、戦前よりの歴史を誇るJ日本交通公社=JTBの時刻表が通算1000巻達成。様々な旅の資料としてのみならず、読み物としての評価も高い時刻表。私も愛読者の一人でした。現在は主に交通新聞社のJR時刻表を愛用していますが、ライバルとなった今も、変わらぬ地位を祈りたい所。

もう一つ、芳しくないのが表題の列車暴走事件についてであります。舞台は、当地よりそう遠くない三重県下のJR名松(めいしょう)線。
当初三重松坂と名張の両市を結ぶべく、1929=昭和4年より1935=同10年にかけて順次開通したものの、現在の近畿日本鉄道の前身、参宮急行電気鉄道が先にこの区間を通る事となった為、津市西郊の伊勢奥津(いせおきつ)~名張間が建設凍結されたまま今日に至った経緯があります。
利用減が進んだ所へ1982=昭和57年夏の大水害の被害もあって1年近く運休。一時はバス転換も構想されましたが、道路事情の改善が見込めない事もあって、存続されている次第。

問題はこの線、つい先日、運転士不在の無人の状態にて列車の暴走事件を起している事。
今週初、運行を終えた終列車が、この列車の終点にて入替え作業途中に無人のまま動き出し、8kmを超える区間を暴走する事に。原因は、入替え作業中の運転士が列車の制動装置の効きを確認しないまま運転台を離れた事が原因の模様。この終点、家城(いえぎ)駅は松坂寄りが緩い勾配となり、列車は無人のまま、下り坂となる松坂方面へ進んだと言う事です。
似た様な事件は同じ名松線・家城にて2006=平成18年夏にも生じており、この時は、義務づけられている車輪止めの使用を失念した為に深夜に暴走事件を生じ、地元では「幽霊列車」として不安がられた話も聞きました。いずれのケースも、踏切警報装置が一部を除いて正常に動作した事と、脱線は免れ、重大事故を招かなかったのが不幸中の幸いでありました。

二つの事件を見て思うのは、いずれも安全の基本が疎かにされていた事でしょう。最早「プロ失格」の誹りを免れないレベル。一鉄道愛好者としても、限りない憤りと悲しみを覚えます。
今週の一件については、まだ三重県警察本部の捜査が途上の為、詳細に踏み込むのは控えますが、報道によれば団塊世代のベテラン社員が大量に引退する事により、優れた技術の伝承が望ましい形にて行われていないのはJR社も例外ではない様です。新幹線の正確な高速運転で鳴らす同社も、このままでは「地方線区を軽く見ているのか」と思われても仕方がないのではないでしょうか。
国土交通省による厳重な警告も発せられた様ですが、今一度「安全は、全てに優先する」の原点に立ち返り、関係各位は襟を正すべきでしょう。

鉄道初め、各交通機関はこれから大型連休を控え、一年で最も混雑する時期を迎えます。加えて長野の善光寺にての7年に1度のご開帳など、大勢が集まる行事も多い時期。

今回の事件は、僅かな油断が思わぬ大事故に繋がる危険性を示したとも言えます。程度こそ違え、同じ失敗が繰り返された事をJR社は真摯に捉え、二度とこうした事件を起こさない決然とした姿勢を、我々利用者の前に示して頂きたい。
P.S 添付画像は、知友の方による、名松線終点、伊勢奥津駅の模様であります。*(新幹線)*
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする