生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

試練の学校(その4)

2013-05-04 15:54:29 | エッセイ
「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


死んだら天国に行けると信じているので、死ぬことは少しも恐ろしくありません。でも、転移したときの苦しみがどれだけなんだろう……と想像したら恐ろしくなります。

それに、今死にたくないのです。わたしを必要としている家族がいるのに、それに人生が中途半端で終わるのもいやでした。
 中学生のころは死にたいと思っていたわたしですが、そのときは必死に生にしがみついていました。
(神様、このいのちを助けて下さい。まだ長女は高校生です。わたしが死んだら、夫や両親を悲しませることになります。どうかどうかもう少し、生かして下さい!)

わたしは泣きながら祈りました。祈っても平安は与えられず、すぐにでも癌が再発や転移するような気がして夜も眠れなくなってしまいました。

そんなとき、部屋の壁に貼ってあった星野富弘さんの詩が目にとまりました。

いのちが
一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった


事故で首から下を動かすことができない富弘さんが、いのちより大切なものがあると知ったとき、生きているのが嬉しくなったと言っておられます。いのちより大切なもの……それはイエス・キリストを信じる信仰だと思ったとき、はっとさせられました。

わたしはまだ死にたくないという自分の希望だけを神様に訴えていました。わたしのいのちは神様の手の中に握られているのに……。
自分が生きたいとどんなに望んでも、自分の意志ではたった一秒でも寿命を延ばすことができません。

これまでは自分の力で生きていると思っていましたが、そうではなくて、神様によって生かされていたのです。
『このいのちを神様にゆだねます。病気のこともいっさいおまかせします。』
そのように祈ったとき、ほっと楽になり、夜もよく眠れるようになりました。
 
(四)術後の苦しみ 

術後の治療は楽なものではありませんでした。でも、喘息の苦しみを経験しているわたしは、それほどつらいとは思いませんでした。

呼吸が楽にできるのなら、どんなことでも耐えられると思いました。点滴の抗がん剤治療は受けませんでしたが、一か月半の間、毎日放射線治療を受けに行きました。厳寒の時期、自転車で三十分かけて病院へ通う気力と体力が与えられていました。

術後数年して、腫瘍マーカー値が上がったことがありました。てっきり再発か転移だと思って、声を上げて泣きました。神さまにゆだねたつもりでも、気持ちが揺らぎます。弱いわたしです。幸い再発転移ではありませんでした。

また、検査結果を聞くために待合室にいると、緊張のせいで胃が痛くなってきます。名前が呼ばれ、診察室に入って画像をみつめながら医師の言葉を待つ間、この一瞬が何時間にも感じられます。心臓が飛び出すほどドキドキします。

「異状なしですね」という医師の言葉を聞いてほっと胸をなでおろします。
検査は三か月に一度、半年に一度、年に一度とだんだん間隔が伸びてきます。検査結果を聞くたびに感謝の祈りを捧げました。 
薬の副作用で関節が痛んだり、抵抗力が落ちて肺炎になったりもしました。
 
でも、喘息の苦しさに比べれば全然たいしたことありません。神様は、乳がんになる前に喘息の苦しみを体験させて、忍耐力を養って下さったのではないでしょうか。

肺炎になって高熱でうなされているとき、幻を見ました。眠っているのか起きているのかわらない状況でしたが、目はしっかり開いていて、色々な映像が浮かんでは消えていました。そのとき、多くの人の祈る手が見えました。

(あっ、今わたしのために大勢の人が祈ってくれている!)
その次に、何とイエス様が祈っている姿が見えたのです。

(イエス様もわたしのために祈っていて下さる!)
そう思ったとき、胸がいっぱいになりました。神様と人から愛されていると実感しました。


                                          つづく



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